例文
「AとB」と「AかB」の違い。これは意図を正確に表現する上で注意すべきポイントです。細かいところなので、例文を用意しました。
①:リンゴとミカンを買ってきてください。
②:リンゴかミカンを買ってきてください。
考察
①の発信者は「リンゴとミカン」という「andの論理」を用いて表現しているのに対し、②の発信者は「リンゴかミカン」という「orの論理」を用いて表現しています。①と②はたった1文字の違いに過ぎません。しかしながら、①と②で表現されるお願い事は意図が異なります。①と②を比較してみましょう。
①と②の発信者は、いずれも「リンゴ」と「ミカン」を別概念として認識しています。これら2つのフルーツをまったく同一のものであると認識していれば、「リンゴ」と「ミカン」という2つの言葉を用いません。
次に、①と②の相違点を考えたいと思います。
①(リンゴとミカン)のお願い事をされた場合、どのような行動をとれば発信者のニーズを満たすでしょうか。答えは「リンゴとミカンの両方を買ってくること」です。リンゴとミカンがそれぞれ1個以上必要になります。たとえリンゴを2個以上購入したとしても、ミカンを買ってこなければ①の発信者は満足しません。リンゴとミカンの両方を用いたケーキでも作ろうとしているのでしょうか。
他方、②(リンゴかミカン)のお願い事をされた場合には、リンゴかミカンのいずれかを買ってくれば足ります。リンゴかミカンのどちらかを食後のデザートにしたいと考えているのかもしれません。
以上を踏まえ、少し発展的な考察を行いたいと思います。
①(リンゴとミカン)の発信者は、リンゴを欲しており、かつ、ミカンも欲しています。「リンゴ」と「ミカン」を明確に区別している状態にあります。いま発信者は「リンゴ」と「ミカン」を同一視していません。
他方、②(リンゴかミカン)の発信者は「リンゴとミカンのどちらでも構わない」と思っている状態ですので、お願い事をしている時点においては「リンゴ」と「ミカン」を明確に区別しているわけではありません。もちろん、「リンゴ」と「ミカン」という言葉を用いていますので、両者が別概念であるという認識にはあります。しかしながら、②の発信者の頭の中は「どちらでもよい」という状態ですので、両者を同一視していると言えるでしょう。
言葉を用いる際には、2つの視点が欠かせません。1つは「意味」の視点。もう1つが「意図」の視点です。①と②はいずれも「『リンゴ』という言葉の意味」と「『 ミカン』という言葉の意味」が「一致していない」という認識にある点で共通しています。しかしながら、「意図」の視点からすると大きく違います。①(リンゴとミカン)の発信者はリンゴとミカンを「区別する意図」をもっており、②(リンゴかミカン)の発信者は「区別しない意図」をもっています。
「意図」の視点の重要性
- 「AとB」・・・A、Bを「区別する」意図
- 「AかB」・・・A、Bを「区別しない」意図
言葉は、その意味がある程度共有されていないとコミュニケーションの道具として機能しません。そのため、辞書などを活用して「どのような意味で言葉が流通しているのか」を確認することは重要ですし、言葉を交わす中で「相手がどのような意味で言葉を捉えているのか」を考察することは欠かしたくない手続きです。しかしながら、このように「意味」の視点は重要ではありますが、それだけで言葉と向き合うことには限界があります。
人が何らかの言葉を発するとき、ただ叫びたいだけである場合などを除き、言葉を発すること自体が目的である場合はほとんどないように思います。自らの望むことが実現する確率。これを高めるために言葉を用いる場合が多いのではないでしょうか。そのためには「何を目的にその言葉を用いているのか」を明確にしなければなりません。意図を明確に伝えるからこそ、発した言葉が受信者に与える影響をコントロールでき、望んでいない結果の発現を回避できる確率が高まるのです。
論理的表現の目的は、相手を言い負かすことではありません。言葉を交わす者同士がそれぞれの言い分を了解し合うこと。これが表現に論理性をもたせる目的です。
育ってきた環境や経験してきたことなど、思考に影響を及ぼす要因は人それぞれ異なります。そのため、思考の現れである言葉をどれだけ交わしても全てが伝わるはずもありません。そうした中で「わかり合えた」と実感できるのは、お互いの意図が共有できたときではないでしょうか。このときに重要な役割を担うのが表現の論理性です。
典型問題についてはしっかりと対策してきたのに、入試当日に小論文で何を書けばよいのかがわからなくなる……このような事態に陥ってしまうのは「相手を言い負かすスキルが試されている」と思い込んでしまっている人に多いと感じます。「なぜ言葉を論理的に使わなければならないのか」という問いに対する自分なりの答え。これからの受験生には、この答えを探すことが求められているのではないでしょうか。
(吉崎崇史)