国際化が進み、多様な価値観に触れる生活が身近なものになっていく。そのような未来をイメージしてみますと、これからの人たちにとって、「さまざまな経験者の語り」へのアクセスの機会がますます重要になってくると思われます。
本シリーズでは、多文化・多言語とかかわることの多いキリスト教の教会関係者による言語学習体験記を紹介し、日本語を母語とする人がどのようにさまざまな言語と向き合ってきたのかをお伝えできればと考えています。
寄稿者からのメッセージ
一言語学習者として、自分が思ったこと・感じたことを書くように頼まれました。結論を申し上げると、言語の学習は楽しいことだらけです。
第1に、私にとっての母語である日本語も含めて、言葉を学ぶことは新しいことを学ぶことであり、(知らなくても生きているかもしれませんが、)今まで知らなかったことに気づける喜びは、何よりも大きいものだと思っています。第2に、今回ブログに書くことを頼まれましたが、書くことによって、自分の頭の中にあるものを整理することができることも楽しみの1つだと思います。
中高の時に勉強のできなかった私が、(どれぐらい理解しているかはそれぞれ別として)日本語・英語・フランス語・ラテン語・ギリシャ語・イタリア語を学べていることは驚きですが、その中で自分が思ったこと・感じたことを分かち合っていきたいと思います。
予備校生活
アラフォーと言われる年になって、「一言語学習者」として自分を振り返る機会をいただいた。とは言うものの、言語を専門に勉強してきたわけではないので、たいした勉強をしてきているわけではない。しかし、いくつかの言語に触れることで、当然ながらそれぞれの言語にある背景を学ぶことができ、その違いや共通点に気づくことができたことは、大きな収穫であったように思う。
中高時代は中堅進学校で過ごした。周りには、いわゆる難関私大に現役で進学するような仲間がいたが、私はいつも下の方でうろうろする成績だった。現役で一応大学には合格したものの、偉そうに「滑り止めには行かない」と考え、浪人生活が始まった。
代ゼミに通い、英語と現代文は複数の先生にお世話になった。その中でも、英語の富田一彦先生の授業は私にとって衝撃的だった。1つの英文を自力で読めるようになることの楽しさを教えてもらったように思う。もちろん彼の教え方には賛否両論あるが、結果的に19歳の時に習ったあの英文法の授業がその後のヨーロッパ言語習得の大きな礎となることを、当時の私は想像していなかった。ただ、パズルのように解けること、分かることが楽しかったのである。
しかし、受験は甘くなかった。もう1年間、代ゼミに通うことになり、今度は現代文の笹井厚志先生の授業にはまってしまった。富田先生と同じく、自力で現代文の文章を読めるようになったのである。文字を追うことは当然できるが、その文章が何を言おうとしているのかを読み、まとめることができるようになったのは笹井先生のおかげである。
もちろん、2年間も浪人したので親には迷惑をかけた。しかし、勉強する楽しさ、特に言葉に対する興味を抱けたのは、この2年間だったように思う。さらに、「せっかく勉強しているのだから、これを大学に入って教えられたら楽しいだろうな」と思って、予備校生の時からすでに講師としての準備を始めていた。どうやって自分なら教えるか、それはつまり分からなかった自分が分かるようになったプロセスを大切にしていたのである。
大学受験予備校のバイト
先に述べたように、自分が予備校で学んだことを、大学受験を準備している人たちに分かち合えたらという思いで、大学入学後に現役生の通う大学受験予備校で個別指導講師として教え始めた。個別指導だったので、英語と国語を担当し、2年が終わろうとしていた。
そこでは、英語を専門に勉強された院生との出会いが印象に残っている。今ではメジャーになっているが、英文法や前置詞を単に文法で終わらせず、イメージで学ぶことを教えてくださった。
この頃から、「結局英語を理解するためには現代文(私にとっては日本語)が理解できていないと始まらない」ということを強く思うようになっていく。外国語を習う前に、まず日本語をちゃんと勉強しないといけないのである。しかし、大学受験予備校では、文型科目において英語や古典の需要は多くても、現代文の需要はそれほど多くない。英語を専門に勉強していなかった私の肩身が狭くなり、将来のことも考え、いろいろなことが重なり、別のステップを歩もうと考えた。それは、「今教えている英語を、高校生ではなくて中学生に教えたら、もっともっとかしこく、言葉に敏感な子が育つのではないか」ということである。
そこで、大学近くの高校受験塾を探したところ、小中学生用の塾を見つけたので、そこに応募した。もちろん、「英語科講師」として。しかし、その塾では高校受験の需要が少なかったようで、英語講師としての採用はされず、代わりに「国語と社会」のどちらかなら採用すると言われたので、半分投げやりに「どちらでも良いですよ」と答えたところ、それでは「国語をお願いします」と言われた。ここから、私の国語科講師としての数年が始まったのである。
国語科講師として
国語科講師と言っても、国文学を勉強したわけでもなく、本をたくさん読んだ文学少年でもない。従って、生徒と同じように必死に勉強した。大学入試には必要のない、「筆順や部首」、そこまで求められない「慣用句やことわざ」も必死に覚えた。
しかし、文章の読み方や、記述の仕方は、浪人時代に学んだことがそのまま活かせるではないか!抽象度や字数制限に多少の違いはあるが、考えるプロセスはほとんど同じである。つまり、段階を経て考えることで、答えにたどり着けるという点では、小学生も高校生も、同じルールでゲームに向かっているのと同じであることに気づいた。もちろん、小学校1年生と6年生、国語が好きか嫌いかで多少の違いはある。しかし、私自身、国語が苦手だったので、「できるようになる喜び」はよく分かっていた。
基本的には文章を読んで答える以上、私の考えは聞かれていないのであり、筆者がどのように考えているのか、その根拠を探すのである。本文中に書かれている場合もあれば、そのための背景知識から判断することもある。ゲームをするためのルールを説明することで、テクニックと言われるかもしれないが、多くの子供たちは国語が嫌いではなくなっていった。今でも関わりがあるが、当時の小学生は大学生となっている。相変わらず国語力が低い子もいるが、論理的に考えることができるので、自分の専門としたい勉強には困っていないようである。
その意味で、国語ができないと(現代文ができないと)、問題の意図が理解できなかったり、専門書が読めなかったりするので、すべての始まりは現代文の読解力といえるだろう。この点については、新井紀子「AI VS. 教科書が読めない子どもたち」東洋経済時報社(2018年)を読んでほしい。