包含関係を意識
意味の範囲を気にすること。
これは表現の論理性を考える上で重要なことです。
現代文、特に評論文の問題に取り組む際には「どのような意味でその言葉が使用されているのか」をおさえる必要があり、それを考えるヒントが「意味の範囲」になります。「含み/含まれ」の包含関係を意識しなければ、馴染みのない言葉がたくさん出てきた場合には「読む気すらなくなる」という事態になりかねません。
とはいえ、しっかりと書かれた文章を「読む」場面においては、その文章にはさまざまな工夫が凝らされていますので、意味の範囲をおさえるチャンスはたくさんあるでしょう。注意深く読めば、その中のどれかを手がかりに文章中の意味を探ることは可能です。
意味の包含関係を特に気にしなければならないのは、文章を「書く」場面。自分から情報を発信する場面では「どのように伝えればよいのか」を考える必要が生じます。この意味では、「書く」のみならず「話す」ときにも、意味の包含関係を意識したいところです。
「たとえば」と「つまり」
- 運動、たとえば、サッカーをすると気分転換になる
「運動」の中に「サッカー」がありますので、「たとえば(例示)」という言葉を適切に使用できています。
少し順序を入れ替えてみるとどうでしょうか。
- サッカー、たとえば、運動をすると気分転換になる
おかしい感じがしますよね。
ここでおさえたいのは、「たとえば(例示)」の「前」には、意味の範囲が広い言葉、他方の意味の範囲を含んでいる言葉が示されるということ。「A、たとえば、B」と表現されるとき、「AはBを含む言葉」です。
A、たとえば、B
- A:他方(B)を含む言葉
- B:他方(A)に含まれる言葉
先にB(他方に含まれる言葉)を示したいときにはどうすればよいのでしょうか。
このときに使えるのが「つまり」です。
- サッカー、つまり、運動をすると気分転換になる
「サッカー」は「運動」の中に含まれていますので、「『サッカー』であるならば、同時に『運動』でもある」という状況です。これを表す言葉が「つまり」です。
「『つまり』って『A=B』の関係を示すはずなのに、意味の異なる『サッカー』と『運動』を『つまり(=)』の関係でつないでもいいの?」
もしかしたら、このような疑問を抱く人もいるかもしれません。しかしながら、いま扱っている文では「サッカー」という情報が先に示されており、「サッカー」が話題であると確定している状況です。「サッカーでないもの」は話題になっていません。
そして、話題になっている「サッカー」についてだけ見ると、その意味の範囲は「同時に『運動』でもある」と言えますので、(辞書的意味ではなく)文脈上の意味は「つまり(=)」の関係となります。
少し順序を入れ替えてみましょう。
- 運動、つまり、サッカーをすると気分転換になる
この文では「運動」が話題ですので、その後に「つまり、サッカー」と述べたときには、「運動の中には、サッカーでないものもあるのに、『運動、つまり、サッカー』はおかしい」という指摘がなされるでしょう。
「先に言ったことが先に伝わる」という情報伝達の順序を意識するのがコツです。
「じゃあ、先に『運動』って言いたいときにはどうすればいいの?」
そのときには、前に述べた通り、「運動、たとえば、サッカー」と言えばいいのです。
- 運動、たとえば、サッカーをすると気分転換になる(○)
- サッカー、たとえば、運動をすると気分転換になる(×)
- サッカー、つまり、運動をすると気分転換になる(○)
- 運動、つまり、サッカーをすると気分転換になる(×)
「つまり」と「あるいは」
以前の記事で、「A、あるいは、B」のような「or」の論理が使われているとき、「AとBは同一視されている」という話を紹介しました。
「AとBは同一視されている」というのは、「AとBは違うものだけど、いまは同じように扱われている」ということです。「AとBは違う」というのが前提にあります。その意味で、「A、あるいは、B」は「A、つまり、B」と異なります。
- サッカー、つまり、運動をすると気分転換になる
先ほどのこの例を
- サッカー、あるいは、運動をすると気分転換になる
に書き換えると、おかしい感じがするのはそのためです。
- サッカー、あるいは、野球など、運動をすると気分転換になる
以前の記事でも紹介した通り、このように複数の例を示すときには「あるいは」が有効です。「『サッカー』と『野球』は違うけど、『運動』の例示である点では同一視できる」からです。
(吉崎崇史)