(ある日のランチタイム)
吉崎:「とある教会関係者の言語学習体験記」シリーズはおもしろかったなあ。「ためになる」のはもちろんですけど、ひとつひとつの言葉の選択に優しさと強さがあって、さすがキリスト教教会関係者!って感じ。何度もシリーズ全体を読んで思ったのは、言えることと言えないことの線引きがすごく慎重だなあと。ひとりの講師としてもとても勉強になりました。
- ※ あくまで「一言語学習者」としての立場での寄稿をお願いしている都合上、「キリスト教教会関係者」と呼ばせていただいております
鈴木:ですね!キリスト教教会関係者という立場でひとりの日本人がさまざまなヨーロッパ言語とどのように向き合ってきたのか。国際化の話題になると、どうしても英語の話ばかりが目立ちますし、理由があって多言語を身につける必要に迫られた方のお話を聞く機会はあまりありませんので、英語講師として外国語学習を仕事にしている身としてはとても参考になります。
吉崎:ところで、いま寄稿者の方は、イタリアの語学学校でしたっけ?
鈴木:そうです。いろいろ感じたことをメモに残される方ですので、特派員的な記事を書いて欲しいと頼んでおきました。授業が始まってお忙しいとは思いますが、最近アメブロも始めてましたし、きっと書いてくれると信じてます笑
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数日後、特派員的な記事が届きました。信じる者は救われました!
イタリア語はアクセントとイントネーションをとても大切にする
現在、私は、メキシコ人・スペイン人・コロンビア人・ギリシャ人・アメリカ人・イラン人・中国人と一緒にイタリア語を勉強している。
日本人である私が特に難しさを感じるのは、「イタリア語がアクセントとイントネーションをとても大切にする」ということである。
日本語の演説や話はたとえ単調であっても、聞く側として意味は理解できる。しかし、イタリア語ではアクセント等が重要となる。
この点、「話す・聞く」を勉強してこなかった私にとっては、とても難しい。
私のイタリア語学習の一例
全てを理詰めで考えることは不可能
イタリア語には「過去」の表し方として近過去・半過去・大過去・遠過去・先立過去の5種類がある。その中でも、よく使われるのが近過去で、近過去の作り方は、助動詞「avere」または「essere」の直説法現在+過去分詞である。
英語の時制概念との違いは詳しくわからないが、作り方としては have+過去分詞をイメージすればわかりやすい。しかし、英語と違って、イタリア語の場合は過去分詞(になるもとの動詞)によって、「avere」を使うか「essere」を使うかが変わってくる。
ここで、一つの基準となるのが、過去分詞(意味上の主動詞)が「自動詞」か「他動詞」かの違いである。
私は日本語を母語としているので、日本語である動詞が「自動詞」か「他動詞」か、考えたことがなかった。これを深く考えたのは浪人生時代の英語の授業の時であった。意味で考えるのではなく、その動詞が目的語をとるときは他動詞、そうでなければ自動詞と習った。これを考えると、ほとんどの問題はクリアできる。
また、私は大学時代に第二外国語でフランス語を選択していたので、これが大きく功を奏した。フランス語では「複合過去」といわれるものがあり、複合過去は助動詞「avoir」または「être」の直説法現在+過去分詞である。
厳密にフランス語で「avoir」と「être」の使い分けがどうだったか覚えていないが、基本的な考え方(自動詞は原則「être」を使う)は同じだったので、私にとっては幸いなことに難所と言われる「近過去」の理解はできるのである。
もちろん、違うところもあるので、それは覚え直さなければならないが、そのときに「全てを理詰めで考えること」は不可能である。「その国の言葉ではそうなのだから」と諦めることも必要であり、これこそが「自分のこだわり」を捨てる最大の難所であろう。
でも、理屈があって言葉が生まれたのではなく、使われる背景があって言葉が生まれたことを考えれば自然だし、逆になぜそのような表現が生まれたかを調べる方が楽しいと思う。
「私は先週、京都に行った」
さらに、「essere」を英語のbe動詞と考えて、その後に来る過去分詞を形容詞的用法と理解すれば、イタリア語ではその過去分詞を主語の性数に合わせることも理解しやすい。
例えば、「私(男性)は先週、京都に行った」だと、「Io sono andato a Kyoto la settimana scorsa」となる。
- Io:私は
- la settinama scorsa:先週
「andare」は「行く」の基本形で、過去分詞は「andato」となる。これは近過去を作るときに「essere」を伴うので、「essere」を主語の形(Io)に合わせて「sono」に変化させる。
しかし、私が女性なら、「私(女性)は先週、京都に行った」だと、「Io sono andata a Kyoto la settimana scorsa」となる。
過去分詞「andato」を女性単数形に直して、「andata」に変えないといけない。
ここでは省くが、男性単数・女性単数・男性複数・女性複数の4パターンに変化しうる。
クラスメイトのアメリカ人
幸か不幸か、私は英語を母語としていないので、これを作業のように捉えることができた。
同じクラスにアメリカ人がいるが、英語だとhave+過去分詞で事足りるところを、「avere」や「essere」と使い分けなければいけなくて、その基準が自動詞か他動詞かとなったときに、その動詞が自動詞なのか他動詞なのか、非常に悩んでいた。その人も普段は意識していないのだろう。
このあたりしっかり考えていないようで(失礼)、最初のうちは何度も間違えて(自分に対して)腹を立てていた。最初は「チッ」と腹を立てていたにもかかわらず、自分が分かるようになると、「オォ、そりゃそうだろう」と自信たっぷりに言うのもアメリカ人の国民性なのだろうか。
多言語学習者だからこその難しさ
多言語学習者だからこその難しさもある。
発音
一つは発音である。
「unico」という単語、イタリア語では「唯一の」と訳される英語で言う「only」という語である。
イタリア語では「ウーニコ」と読むが、英語では「unique」は「ユニーク」と読まなければならない。
細かい発音の違いを言いたいのではなく、冒頭の音を「ウ」と読むか「ユ」と読むか、パッと見たときに頭が混乱するのである。
また、冠詞「le」はイタリア語では定冠詞の女性複数形で「レ」と発音するが、フランス語では定冠詞の男性単数形で「ル」と発音する。
英語やフランス語は「文字通り」発音すると間違うが、イタリア語では基本的に「文字通り」発音しなければならない。このあたりが非常に難しい。そして、このあたりを今一緒に住んでいるイタリア語の教員を目指しているフランス人に聞いてみると、やはり大変とのこと。
敬意表現
次に、人称代名詞について気づいたことだが、イタリア語にも「あなた」に対して敬意表現がある。友達など親しい相手なら「tu」を使い、敬意を示したい相手なら「Lei」を使う。
なぜ私がこれで困ったかというと、フランス語では同じように「tu」と「vous」で使い分ける。イタリア語には二人称複数を表す語に「voi」があるが、これはフランス語のように敬意を表す表現ではない。単に人称代名詞の問題ではなく、それに伴う動詞の活用にも違いが現れるので、「tu」と「Lei」、「tu」と「vous」の切り替えには少し時間がかかった。
日本でもできること、現地だからこそのメリット
文法などの概念は日本で勉強をしたほうが良い
まだ2週間ちょっとしか現地での語学学習をしていないが、そこで感じたことは、日本でも十分に他言語学習はできるということである。
むしろ、きちんと日本で、特に文法など概念の勉強をした方が良い。
私は、ある程度文法の勉強を終えて留学した。なので、授業で新しいことを学ぶと言うよりは、授業で勉強することを前もって予習し、間違えたところを復習するように、「授業を確認の場」とすることで、気持ちに余裕が生まれた。
授業だけで全てを学ぼうとすると、それは非常に大変なことであろう。
現地で勉強するメリット
しかし、それでも現地で勉強することのメリットはある。それは、教室を出てもその言葉が使われていることである。目につく言葉、耳にする言葉はイタリア語であって、日本語ではない。
今はインターネットのおかげでどこにいても日本語を見聞きすることはできる。でも、私は自室で日本の動画を見ないようにしている。その環境に身をおけるというのは、何よりも留学のメリットではないだろうか。
さらに、私は「私立文系」の勉強に特化していたので、「読む・書く・聞く・話す」はまんべんなくできない。
今もイタリア語の文章を「読む」ことは少しずつできるようになってきているが、それ以外のはまだまだである。
幸い、授業で先生が話すのはイタリア語で、クラスで話されるのはイタリア語なので、2週間経って少しずつ耳が慣れてきて、ジョークでも笑えるようになってきた。イタリア語を耳にし続ける環境にいることで「聞く」ことに慣れてきたのだろう。
そこで、日々の出来事を「書く」ことを始めた。そしてイタリア語を操れる人にチェックしてもらう。そうすることで自分の思いを「発信」していくこともできるだろう。
それが自信にもつながっていく。動詞の活用やアクセント、冠詞や文法事項が間違っていても良い。こちらが話そうという態度をもって、「この人は私に何かを伝えたいのだ」と相手が受け取ってくれたときにコミュニケーションは成立するのである。
(とあるキリスト教教会関係者)