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人生と哲学 ~哲学のほんの入り口で感じたこと~

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けようです。

 

私は自治体職員として働きながら大学院で哲学を研究し、鷲田清一先生のもとで学びました。

 

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今回、人生の中で「哲学」という学問に触れる意義について、私の思うところをお話しさせていただきます。また、哲学カフェを開催した体験記も紹介させていただきます。

 

対話を大切にする哲学

 


哲学を通して、私が一番いいなと思ったことは、“対話”ということです。

 

哲学は、答えのない問いに対して、ひたすらに丁寧に時間をかけて、対話をしていくことをとても大切にしています。

 

対話の相手は、他者


自分と違う考えを持つ人間です。


その他者と丁寧にとことん話をしていく。


その中で、自分の考えに変化が出てきたり全く思ってもみなかったことに気づいていったり、さらにお互いに完璧に相手の言うことを理解はできないかもしれないけど、納得のいく合点を見出すことができます。


生きている他者でなくても、対話ができます。それは本を読んでいる時です。大昔の名著の著者とも対話することができます。


哲学はこのシンプルな営みを非常に大事にしているんです。

 

そして人生において、対話を大事にすることは、何事にも通ずるものがあると思います。


仕事で新しいアイデアを出す時にも、物事を決めていく時にも、恋愛や家庭のことでも、友人とのケンカでも。何事においてもちゃんと対話をすることって、できているようで、全然できていないんだということに改めて気づきました。


例えば、地域の活動や仕事で大事な方針を1つ決めるにしても自分の中、社会や組織の中にある既成概念を根拠に、対話もせずに決定することってよくあるんじゃないでしょうか。家庭においても、家族間の人間関係がお互いの勝手な決めつけがんじがらめになっていて、対話すらもできない状況にあったり。

 

未来の選択における対話の意義

 


“話し合う”というシンプルなプロセスが、この慌ただしく、そして、あまりに複雑に組織化された社会では、機能していないように思います。

 

働き方改革ということ1つ取っても。


残業は減らして、でもGDPは下げないとすれば、どこでその分の作業をまかなっているのか


そもそも経済活動を成長させたいのか、もしくは縮減して子育てや仕事以外の活動に時間をあてがうのか、どういう塩梅で人の暮らしを充実させるのか。


子育て親本人以外がやることはいけないのか、親以外でもうまくできる方法は他にもあるのではないか。保育所を増やすだけが日本のためになるのか、どのような環境が子育てにとって良くて、どのような生活をすることがこれから日本で暮らす人々の幸せなのか。


このようなことは、専門的な知識があるからといって決定できることではなく、答えはないと思います。何を良しとするかは建設的に話し合って決めていくしかないのではないのでしょうか。


さらに、こういったことを考えようにも、政治に参加できる手段が一般の市民には、選挙しかないですし、経済界分業に分業を重ねすぎて、すぐに停止することができない。また、お医者さん保育士さん子育てのことは任せておけばいいと思っている人もいるかもしれない。また、このような専門家も子育て以外のことは専門外なので、経済のことや労働時間のことは考慮外にして関わらないという専門家もいるだろう。


そのような結果、自分も含めた多くの人々は、とりあえず自分たちの暮らしが回っていたらそれで良しとなってしまっているのではないのかなあと思います。


しかし、自分たちの未来をどう切り開いて、どういう選択を行っていくかについて、原発の問題などもある中、今後ますます、政治家市民専門家企業対話を重ねて、合点を見つけていく、そういう場所が必要だと思います。

 

人生に寄り添ってくれる哲学

 

今はスケールの大きなテーマでしたが、自分の生き方や人生に躓いたときにも(笑)、哲学そばに寄り添って、役に立ってくれるものなんじゃないかと私は考えます。


なぜなら、たくさんの人と対話をすることで、自分の価値観を広げることができますし、たくさんの価値観を知っていることで、困難が起きたときにも、慌てずにじっくりと腰を据えて、その状況を俯瞰して、取り組んでいける、そんな基礎体力をつけることが、哲学をすることだと思うからです。

 

哲学は答えを出すのではなく、「何が問題なのか?」「何をどう言った方法で解決していくべきか?」といった問いを見つけることと、解決策への考え方を考えることであると思います。

 

議論には時間も労力もかかるけど、きっと難しいことではないんだと思います。


丁寧さ真っ当な姿勢が大切なのかもしれません。

 

哲学と現実社会の隔たり

 

私が“哲学を学びに大学院に行っている”という事実は職場の皆にも理解はいただいていたけれど、共感はあまりされていなかったんだろうな~と思います。


だって、30代アラウンドの女子が今更、何?哲学?


哲学と仕事ってどう結びつくんだろうっ??て。


ハテナなところが多いですよね。

 

以前の職場では、このような声も。

 

  • なぜ哲学?どう仕事と関係するの?
  • 大変だね~
  • 思いつめて最終的に自殺しないでくださいよ~とか(えええ!し~へんし!)

 

うまく皆を説得できるような説明が不足していたのもありますが、日本には、「哲学」と聞いた時にあまりいいイメージがないのでしょう。「哲学」と聞くと小難しいことをダラダラとやるんだくらいにしか思われていないのかもしれません。


自分も、正直、学部生の時は、哲学?なんだか難しそう~としか思っていませんでした。おじさんが、ああだこうだと言い合って何も役に立たないんじゃないかな~と思ったりしていたような。。

 

しかし、ヨーロッパでの哲学は、日本とは違うようなんです。

 

ヨーロッパにおける哲学

 

フランスの歴代大統領が卒業している上級公務員をめざす学生が通う行政大学院では、修了時に哲学論文の執筆が義務付けられているようですが、一方で日本では、公務員になるための大半の試験は受験勉強に類似する一般教養の暗記型の試験が課せられます。


公務員とは、環境・福祉・子育てなど、人の生活を根底からサポートし市民の幸福な生活を考える人物であるべきですが、“幸福とは何か?”とか“良い社会のあり方”について真摯にあれやこれやと考えを巡らせたことがない、見識のない人に行政を任せることほど、危ういことはないと鷲田先生はおっしゃられていました。


また、フランスリセ(後期中等教育機関。日本の高等学校に相当する)では、文系の大学へ進学する学生には、週8時間の哲学の授業、理系の学生は週3時間の授業があり、大学入試では4時間かけて哲学の論述試験があるようです。

 

ほ~日本とはなんだか様子が違います。

 

(中略)ロジック、つまりは言葉であり、論理であるロゴスが社会というものを形づくる基本と考えられてきた伝統が西欧社会にはあるからだろう。そこでは、言論が教養と社交と政治の基礎、つまり社会生活の基礎と考えられてきた。だから哲学という名の、じぶんたちが日常使っている言葉の吟味がそれらの基礎をなすものと考えられている。そういう作業が、<神権>や<王権>に代わって<人間の理性>を市民の武器としつつ、近代という時代を支えてきた。哲学が中等教育のなかに組み込まれているのがまさにその証である。市民の権利と義務を果たすときのその基礎的能力として、「哲学すること」が位置づけられてきたのである。じっさい、失敗、後悔と、痛い経験をくぐり抜けて、人びとが、護るべきものとして合意し、ともに編み上げてきた価値についてのまとまった言説のテクストは、その武器庫ともいうべきものなのだ。(鷲田清一『哲学の使い方』、岩波新書、2014年、p.10−11)

  

ヨーロッパでは、哲学というものの扱われ方が違っていて、小難しい学問の領域の中に収まっているものではなく、市民の文化・マインドとして根を張っているんだろうということが想像できます。


市民の武器・・・権力や地位に頼らず市民ができることは、既成概念にとらわれず物事を色々な物差しで考え、対話していくことであって、それが市民のための力になるのだと思いました。

 

では、今、自分に何ができるのか?

 

4年間、哲学を学んだとはいえ、4年だとかじった程度で、古代ギリシャから続く哲学の歴史の大きな体系がある中の「て」の字も分かっておりません!(恥ずかしながら笑)が・・・、例えるなら、今はちょうど、哲学の入り口付近には来れたような気がします。


しかし、改めて、「なぜ自分は哲学をしたいのか?」「なぜ哲学が大事だと言えるのか?」については、この4年を通して自分の中で核としたものができたように思います。

 

哲学のこと。今後の日本、いや世界のために、ますます期待と希望と信頼を置きたいと思うようになりました。 

 

では、哲学研究科を修了した、アラサー女子として、今、自分に何ができるんだろうか?


そんな気持ちが芽生えてきました。

 

  • 対話ということが大事だとわかったこと。
  • 哲学と現実社会の隔たりに気づいたこと。

 

では、どうすれば、日常に哲学を生かしていくことができるんだろうか。まずは、自分の身近なところから少しでも哲学を還元できないか。。。と。

 

実は、大学院の鷲田先生の授業の中で、何度も「哲学カフェ」というものを体験したのですが、これがとても興味深いものでした。

 

このカフェを住んでいる地域でやってみようと思いました。

 

哲学カフェのことを少し

 

哲学カフェって何やねんっ?


と思われると思いますが、これは、哲学書を読む会でもなく、ある哲学者について語り合う同好会でもありません。


むしろ、専門的な哲学の話はしませんし、それをあえて禁止しています。

 

一言で言うと・・、見ず知らずの参加者が1つのテーマについて意見を交換し、考え、そして問いを深めていく場所です。

 

コーヒーとお菓子を片手に、自分の言葉で話して、考えて、みなさんの意見を聴いて、また考えて、話して・・の繰り返しを行います。自分の普段の言葉で、発見し、探求する場です。


何やゆるい場所やなあ~と思われる方がいるかもしれません。


この場では、答えを出すことをゴールとしていないので、何となく、モヤモヤッとして終わります(笑)


え~めんどくさいなあ~と思った方もいると思います(笑)

 

でも、なかなか面白いんですよ。

 

一番の醍醐味は、普段では話をしない見ず知らずの人と、すっごく普遍的なテーマ(例えば、幸せって何?優しさって何?かっこいいってどういうこと?)について、話をすることにあります。


これが面白くて、自分では考えなかった発想に触れたり、また他の参加者の意見を聴くことで自分自身の考えが変わっていくような体験があるんです。そのカフェの直後は答えなんてもちろん出ないので、もやもやとした気持ちで参加者は家に帰るんですが、ずっとそのことがひっかかって、でも何日後かに議論が少し展開した、進んだ気分になることがあります。

 

あるテーマについてとことん“対話”をする体験って、日常生活にはあるようでいて、実はあまりないのではないでしょうか?


さらに、性別や年齢や職業も違う、見ず知らずの人と話すことなんて。

 

哲学カフェ開催の体験記

 


哲学カフェでは、あだ名で呼び合います。職業や性別や年齢は言いません、むしろ隠します。最初に、相手に対して一切の既成概念を持たない状況で始めるためです。

 

実際に私が行うときはこのようなルールで行います。

 

  • あだ名を使う
  • 手を挙げてから発言
  • 専門用語は禁止(専門知識の披露もダメ。自分の言葉を使う)
  • 最後まで発言者の話を聞く。
  • 人の発言を否定しない
  • ディベートではないので勝ち負けも無し

 

こういう場所について、鷲田先生は、「デモクラシー(民主主義)のレッスン」と言います。自分の言葉で、語って、相手と対話して、合点の行くところを探ったり、さらに問いへと帰ってきて、最終的には、問いの問い方を書き換えることころまで行くこと。こういうことを、市民が素手でできるようになることが市民による社会を営む上で大事だと。


既成概念を取り払って、新しい見地から物事が見れるようになること、こういった場になることを私は期待しています。

 

最後に実際に開催したカフェの様子をご紹介します。


「優しさって何?」ということをテーマに開催した時のこと。(10代の女子高生から60代の男性まで7名で開催。)


とても面白い対話がありました。

 

~~~


優しさって色々な種類があるよね、と話が進んでいた。


例えば、優しさは感謝の表現でもあるが、時に優しさが甘やかしとなって人をダメにしたり。また、自分を守るために相手に優しくする、この優しさは悪意があるよね。一方で純粋に善意として優しくすることもあるよねと話が進む。


そんな折、「優しさなんか要らない。くそくらえだと思う」という発言者が居て、場が一瞬固まった。いきなり、全く違う方向からの意見だった。


そもそも「優しさ」は「力強い」ということ、自分にも人にも強くあることだから、優しいっていう言葉自体が要らないと思う、という意見だった。

 

私は、この発言を聞いて、自分が思いもしていなかった「優しさ」ということに出会った。改めて、じゃあ「優しい」て何だろうと、また自分の中で問いが深まるのだった・・・


~~~

 

このような具合に、哲学カフェは進んでいきます。


自分が思ってもいなかった方向へ議論がめくり返ることに1つの醍醐味があります。

 

別の日に「贅沢について」話し合った時のことは、Philosophy愛知さんがこちらでまとめてくださっています。

 

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このように、自分と哲学の関係は、まだまだこれからも試行錯誤しながら続いていきます。


(けよう)

 

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