英語・フランス語・ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語を学び、現在イタリア留学中の「とあるキリスト教教会関係者」さん。
多言語学習の経験者として、イタリア語の勉強はどのようなものなのかを書いてもらいました。
音が微妙に違う単語
私の感触なので、本当かどうかはわからないが、感じたことを書いてみたい。前にも述べたが、イタリア語は、フランス語や英語と違って(私の独断と偏見)音節をかなり大切にする。
フランス語の音の特徴として、鼻母音が挙げられるだろう。さらに、「リエゾン」と言われる音を繋げる読み方に、フランス語学習者は苦労すると思う。英語も、イタリア語ほど音節を意識して発音しない。同じアルファベットを使う言葉なのに、どうしてこんなに違うのかは、私の能力を超えるのでここでは扱わない、いや扱えない。
日本語と比べてみたい。日本語は、五十音と言われるぐらい、イタリア語と比べてそもそも「音が多い」のだ。だから、ちょっと音を間違っても、言葉の意味をフォローすることができるのではないか。
例えば、イタリア語にはslacciare(ほどく・解く)とstracciare(引き裂く)という単語がある。後半のcciareは同じだが、slaとstraの違いで意味が変わってしまう。あえてカタカナ表記をしてみると、「スラッチャーレ」と「ストラッチャーレ」になるだろう。読んでみるとわかるが、「ト」をはっきり言うのはなかなか難しい。
別の例を挙げよう。
o Dioは「おお神よ」だが、addioは「(永遠に)さようなら」である。キツイ状況に置かれている人に、同情する意味で「O Dio」と言ったつもりが、「addio」と聞こえてしまったら、その人は突き放された気になってしまう。
他にも、音が微妙に違う単語は多い。山羊はcapra「カプラ」だが、鯉はcarpa「カルパ」である。
特に意識して調べたわけではないが、この数日でこれだけの単語を見つけた。
- viaggio「ビアッジョ」(旅)、villaggio「ビラッジョ」(村)
- corna(pl)「コルナ」(角)、corona「コロナ」(王冠)
- macchina「マッキナ」(機械・自動車)、macchia「マッキア」(染み)
- lesso「レッソ」(ゆでた)、leso「レソ」(損害を受けた)
- tagliare「タイアーレ」(切り離す)、togliere「トリエレ」(奪う)
- rischiarare「リスキアラーレ」(照らす)、rischiare「リスキアーレ」(危険にさらす)
また、お祈りの中で、「re immortale」(レ インモルターレ)と読まなければいけないところを、「re immorale」(レ インモラーレ)と読んでしまった。前者は「不滅の王」で、後者は「不道徳な、不品行な王」である。
日本語で同音異義語が果たす役割
ここからは、勝手な仮説だが、日本人は、イタリア人より、「融通が利く」のかもしれない。少なくとも私の知っている日本人については、そう言える。私は「同音異義語」が大きな役割を果たしているのではないかと考えている。
「ショウメイ」、「イドウ」、「カイホウ」・・・それぞれ漢字に変換しようとすると、いくつかの候補が挙げられる。しかし、ある場合にどの漢字が正しいかは、前後の言葉に左右される。おそらく、日本語を話す際は、この「前後の言葉」を知らず知らずのうちに意識しているのではないだろうか。だから、多少単語を間違っていても、「なんとかなる」のである。
「たとえば」を「たえとば」のように表記するなど、ことばの順番を入れ替えていても、気づかずに読んでしまう事例がある。悪く言えば、「サーッ」と流し読みをしていると言えるだろう。
逆の立場になって気づくこと
こちらの新聞で、日本のことが記事になっていた。「Hikikomori」について書いてあったのだ。
あとで、友達のイタリア人が、「Hikikomori」と言おうとしているのだが、発音がおかしかった。そこで、私は普段言われている「音節」を持ち出して、「Hi, ki, ko, mo,ri」と一音ずつ教えてみた。彼は「Hi」と言っているつもりなのだが、「Hi」になっていない。
この「自分では言っているつもりだが、相手には届いていない」という感触、いつもは私が「言う側」だった。しかし、自分が「聞く側」になって初めて、「あぁ、今まで友達が私に指摘していたのはこういうことだったのか」とわかった気がする。
まだまだ難しい、LとR、VとBの違い、「自分では言っているつもりだが、相手には届いていない」んだなということを実感できた。
(とあるキリスト教教会関係者)