「英語を教える仕事」に就くために
留学生活を終え、大学生として最後の一年を過ごすことになりますが、すぐに留学前にお世話になっていた塾に英語の講師として復帰することになります。
大学4年生ですから、就職活動をしながらゆっくりと大学生活を終えていくのが普通かもしれません。しかしながら、ぼくの場合はそうはならず、卒業のために取得するべき単位も結構残っていたために、しっかりと大学で勉強をし、就職活動には参加しませんでした。
この時点で、ぼくは「英語の先生」になることを決めていたのです。
「英語を教える仕事」といった場合に、大きく分けると中学校や高校などの教育機関で教師として英語を教える立場と、予備校や塾などの組織で講師として英語を教える立場があります。
ぼくの場合は、大学で教員免許を取るための授業を受けていなかったため、学校で教員として授業をすることはできません。当時のぼくの頭の中では「英語の先生=学校の先生」だったので、通信制の大学で教員免許を取得することに決めました。
それと同時に、教えるスキルを高めていく目的で、新たに塾や予備校に講師として登録し、英語講師としての幅を広げていくことにしました。
結論から言うと、最終的に、英語の教員免許を取得しませんでした。そのきっかけとなる出来事が2つ、ほぼ同時に起こりました。この出来事は、現在のぼくにも本当に大きな影響を与えています。
母校での教育実習
1つ目は、教育実習で自分の通っていた高校に訪問していた時のことです。通信制で教員免許を取得する上でも、やはり教育実習は必要とされているため、ぼくの場合は2週間に渡って実習に参加しました。
参加している時点でぼくは24歳になっていたため、周りの実習生に比べると少しだけ年齢が上でした。そして、その時にはすでにいくつかの塾と予備校で掛け持ち仕事をしていたため、人の前で教える経験値は他の実習生とは比べものになりませんでした。端的に言うと、ぼくにとっては、教育実習はお金をもらわずにいつもの仕事をしているだけでした。
教育実習生には一人担当の先生がついてくださり、授業のことなど色々とアドバイスを頂きます。ぼくの場合、担当の先生に経歴を伝えていたこともあり、あまりアドバイスを頂くこともありませんでした。
「いつも通りにやってもらえれば良いですよ」
授業の度、このように言われるだけでした。
他の実習生は教える経験が少ないので、悪戦苦闘しながら実習授業に挑んでいます。この中で、自分だけがそのような感じですから、ぼくについての噂が実習校の英語の先生の中で広まったようです。実習の最後に研究授業という名目で授業をするのですが、その授業は担当してくださっている先生以外の英語科の先生も見学に来られます。噂が立っていることもあってか、ぼくの研究授業には10人近くの英語の先生が見学に来られ、何とも言えない緊張感で授業をしたことを覚えています。
研究授業の後、見学に来られた先生方お一人ずつにお礼の挨拶と授業に対する評価を伺いに行く機会がありました。ほとんどの先生方からはお褒めの言葉を頂き、「このままの調子で頑張って免許を取得して一緒に働こう」とおっしゃってくれる先生もいました。
「英語を教えていて楽しいですか?」
一人だけ、ベテランの女性の先生からはお叱りを受けました。
「あなたの授業は面白くない。それはあなたが楽しそうに授業をしていないからです。あなたは英語を教えていて楽しいですか?」
と、その先生はおっしゃりました。
当時のぼくの頭の中では、「はっ? 仕事で英語教えてて楽しまないとあかんの?」という感じでした。もちろん心から楽しいと感じることを仕事にできれば、それに越したことはないと思いますが、当時の自分にはそこまでの思いはなく、「生徒が自分の授業を聞いて英語が一部でも理解できればそれで良いでしょ」くらいに考えていました。
ぼくの教育実習はこのような形で終わりました。一部ではありましたが、高校での教師の過ごし方を経験することができましたし、自分の「英語の先生」としての力をある程度は知ることができたので、全体的には良い経験であったと思います。
しかし、やはり心に残ったのは、件の先生の「英語を教えていて楽しいですか?」という言葉です。一部モヤモヤしながら教育実習を終えたぼくに、教員免許を取得しないことを決定づける2つ目の出来事が起こります。
英語専門予備校の採用試験
教育実習が始まる前に、ある英語専門予備校の講師採用試験を受けていました。一次試験は英語の筆記試験で、大学受験のレベルを超えた難しい問題ばかりだったことを朧げながら覚えています。
実習生活の最終日に自転車で帰路についた時に、その予備校から電話があり、一次試験をパスしたので二次試験を受けに来るよう連絡がありました。二次試験はいわゆる模擬授業で、校舎長と英語のベテラン講師がぼくの授業を見て評価するというものでした。
この模擬授業が、教員免許を取得しないことを決定づける2つ目の出来事になります。
「こうすればもっと上手く伝わる」
模擬授業の題材はある英文で、その一部分を解説するように言われました。授業のための準備時間は30分で、その後に30分間で解説を行います。必死に準備をして、できる限りの力で授業をしました。
授業後に、校舎長とベテラン講師から授業についてのコメントや質問を頂きます。校舎長からはこれまでの経歴や給与に関することなど形式的な質問をいくつか受けました。
ベテラン講師からのコメントは、全く異なりました。彼がぼくにコメントしたことは、全て模擬授業の中身についてのことで、英語に関する専門的なことばかりを聞かれました。より正確に言えば、この模擬授業を通して、彼から「いかに自分は英語ができないのか」を痛感させられました。
塾・予備校の講師として、大学生時代を含めれば、5年ほどの経験を積んでいた当時のぼくは、英語を教えることにある程度の自信を持っていました。
教育実習でも英語科の先生方の授業をできる限り見学させてもらいましたが、正直なところ「この程度で英語の先生はできるんか」と感じていました。実習授業をしても、担当の先生や他の先生方からも授業の中身についてはほとんどコメントされることはなく、「そのままで良いですよ」と言われていたわけですから、慢心も生まれていたのでしょう。
しかし、この英語専門予備校のベテラン講師は違いました。
ぼくの授業に関して褒めることなど一つもなく、しかしだからと言って貶すわけでもなく、この部分をこうすればもっと上手く伝わる、こういった部分をもっと勉強して身につけられればもっと上手く教えることができる、といった指摘をしてくれます。
模擬授業後にコメントを頂いた時間は数分間だったと思いますが、ぼくにとっては衝撃的な時間でした。
「この人には、今の自分ではどうやっても勝てない」
これまで20年近く仕事で英語を教えてきましたが、自分が今のペースで経験を重ねていっても、歯が立たないと感じたのは、英語の先生に関しては、彼だけです。実際には、彼と戦えるような立場にすらなかったわけですが、ぼくの心の中では「完敗」でした。
英語専門予備校で働く
ぼくにとっては敗戦でしたが、その英語専門予備校に採用されることになりました。当時はまだ24歳くらいで講師としては若手でしたので、将来性を買っての採用だったのだと思います。
ここからぼくの修行が始まります。「研修期間」という名目ではありませんでしたが、会社からは他の講師の方々の授業を見学するように言われました。
件のベテラン講師の授業はもちろんですが、他にも数名のベテラン講師が在籍しており、その先生方の授業を見学させて頂きました。この授業見学は本当に楽しく、有意義な時間でした。どの先生も大学や大手予備校で授業をされている実力のある講師ばかりでしたので、授業の内容や展開も勉強になることばかりでしたし、何よりも皆さん懐が深い方ばかりでした。
英語講師の仕事は他の講師との競争の面が強いため、自分の仕事内容を他の講師に知られたくない方もおられます。それは当然のことだと思いますが、ぼくに見学を許可してくださった先生方はそんな小さなことを気にされるような方々ではありませんでした。
もちろん、ぼくが20歳も年の差がある一若手講師であって、競合相手とすら見られていなかった面もあると思います。授業を見学させて頂く度に、「また完敗」の連続でした。でも、「自分は英語講師としてやっていけるのか」と、不安を感じることはありませんでした。不安よりも楽しい気持ちの方が強く、「こんな世界があるのか!」と毎回感じていました。
「英語講師」の道に進むと決意
教育実習の最後に言われた「あなたは英語を教えていて楽しいですか?」という問いに対する答えは、今となって振り返れば「楽しくなかった」のだと思います。実習生という立場としてに過ぎませんが、学校で教えることにぼくは刺激を感じませんでした。それが自分の授業にも表れていたのかもしれません。
一方で、模擬授業に始まり授業見学、そしてこの後に続く英語講師修行期間は、刺激ばかりでした。模擬授業を見てコメントを頂き、採用を決めてくれた例のベテラン講師は、ぼくの師になる人物です。ぼくが、両親を除いて、唯一心からの尊敬を抱く人物です。
彼の存在がなければ、今のぼくはありません。
(鈴木順一)