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英国マンチェスター留学時代|大学教材も書いている英語講師の学習歴(5)

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大学生になり本格的な英語の学習を始めたぼくは、この時期になってようやく英語が好きになり始めていました。英語そのものが好きであると同時に、英語学習を通じていろいろな知識を身につけていくことが好きになり始めた、と言った方がより正確かもしれません。

 

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新しい知識を身につけ、それを授業という形で学生たちにアウトプットすることでさらに自分の理解が深まる。


大学生のアルバイト英語講師の立場ながら、何かを学ぶ上で一つの理想的な環境に置かれていたと思います。

 

イギリス留学を決意

 

大学3年生も終わりを迎え、留学を決意しました。行き先は英国です。大学2年生の夏休み3週間の短期留学をしたのですが、その行き先が英国マンチェスターでした。一度行ったことがあるという安心と、英国に対する憧れから10ヶ月の語学留学先マンチェスターに決めました。


英国に対する憧れというと少し語弊があるかもしれません。


日本人の英語学習を目的とする留学先としては、アメリカオーストラリアカナダなどが主な滞在先として挙げられます。英国ももちろんその一つに当てはまりますが、上記の3カ国に比べると少しマイナーかもしれません。


ぼくが英国を選んだ一つの理由王道が嫌だったからです。他の多くの人がアメリカを選ぶなら、自分は違う国にしよう、という感じです。この性格は今のぼくにも通ずるところで、天邪鬼というか偏屈というか……

 

もう一つの理由は英国の文化が好きであったということです。スポーツであればサッカーが好きで、ファッションについてもアメカジのようなものよりヨーロッパ的なスタイルを好んでいました。

 

留学準備

 


留学前の準備として、駅前留学を再開しました。高校2年生の時に通っていた同じスクールに入校し、毎週1時間ネイティブの先生とのマンツーマンレッスンを受講しました。

 

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個別指導を選んだ理由は、自分が人見知りであるため。少人数とはいえども他の学生がいる中で英語を話すというのは当時のぼくには大きな精神的負担でした。


もちろん個別指導ですから授業料は割高になりますが、1時間ネイティブ講師の英語を浴び続け、自分のペースで英語を話すことができますから、ぼくにとっては理想の勉強環境でした。


それと同時に、当時のぼくの考えでは、英語の拙い日本人同士が集団クラスのレッスンで英語を話し合うということに意味が見出せませんでした。


なぜネイティブでもない人間が、正しいかどうかも分からない英語を使って話し合わないといけないのか?


その行為に意味はあるのか?


この考えは今の自分にもまだ少しばかり残っています。

 

流暢な学生に囲まれて、、、

 


駅前留学半年間くらい続けて、留学出発しました。現地に到着すると早速クラス分けのテストを受けました。結果、6クラスある中の最もレベルの高いクラスに参加することになりました。


クラス分けテストはリーディングと文法問題のみで構成されるペーパーテストで、会話能力やリスニング力を問うものではありませんでした。大学生になり文法とリーディングを中心に英語学習を進めたぼくには実力を試す良い機会となりました。


ぼくの参加するクラスは10人ほどの少人数のクラスで、ブラジル人、インドネシア人、ノルウェー人、コロンビア人、スイス人など多国籍なクラスでした。レッスンが始まり、ぼくが衝撃を受けたのは他の生徒たちが話す英語の流暢さです。当時のぼくからするとほとんどネイティブレベルじゃないかと思うくらいの流暢さでした。


特にノルウェー人やドイツ人たちが話す英語は、当時のぼくの耳には、独特なアクセントが含まれておらず、ネイティブスピーカーが話しているんじゃないかと思うくらいに上手な英語でした。ブラジル人やコロンビア人の英語にはスペイン語の訛りが感じられましたし、スイス人の英語にはフランス語の聞こえが残っていました。しかし、彼らの話す英語も極めて流暢です。


一方で、ぼくの話す英語辿々しく、長いセンテンスを話すことはできず、短い文を少しだけ話すくらいしかできませんでした。周りの学生のレベルが高い中で、辿々しい英語しか話せない、しかもぼくは人見知りです。初めの数週間本当に大変でした。

 

屋根裏部屋の友人たち

 

留学期間中はホームステイをしていました。ホストマザーとホストファーザー気の良い中年夫婦で、ぼくを含めてその家には6人の留学生が住んでいました。


ぼくは屋根裏部屋のようなところでベネズエラ人とサウジアラビア人10ヶ月を過ごすことになります。


ベネズエラ人典型的なラテンのイケメンで、サウジアラビア人典型的な石油富豪の息子でした。この二人は留学当初ぼくよりも英語を話すことができず、いつも3人で学校に通っていました。特にサウジアラビア人の方は初めは自分の名前くらいしか英語で話すことができず、学校でのクラスは一番低いクラスでした。


とはいえ、僕たち3人の共通言語は英語ですから、英語で話し、コミュニケーションを図りました。同じ部屋で10ヶ月も過ごすと当然ながら仲が良くなりますから、ぼくにとって最高の話し相手でした。これは今でも当てはまりますが、ぼくは気心の知れた人であればたくさん話をすることができます。


彼ら2人はぼくにとって、最良の英語の練習相手であり、友人でした。

 

「英語を上手に話したいねん!」

 


ホームステイ先でホストファミリーと共に生活をしながら英語を話す練習をし、少しずつですがクラスの授業でも英語を話せるようになっていきます。


クラスの授業で印象に残っていることは、時々行われる文法のクラスでした。ぼくは文法をしっかりと勉強していたので、出題される問題はほとんど正解できるのですが、クラスの他の学生なかなか正解できません


ぼくにはこの仕組み理解できませんでした。


彼らはあんなにも流暢に英語が話せるのに、なぜこの程度の文法問題がわからないのだろう。


本当に不思議でした。


クラスを担当してくれていた先生からも、文法問題に関してはよく褒められました。嬉しく感じながらも、内心「そうじゃなくて、自分は彼らのように英語を上手に話したいねん」という思いでいっぱいでした。

 

「英語ができる」という言葉の定義本当に難しいと感じます。


流暢英語が話せれば、英語ができると言えるのか。


読解問題や文法問題正解できれば、英語が堪能と言えるのか。


流暢に聞こえても実は文法的に正しくない英語を話していれば、それは本当に英語ができると言えるのでしょうか。正しい英語を話しているとしても、辿々しい英語しか話せない人は、英語が堪能と言えるのでしょうか。


正しく英語が読めて聞ける、さらに正しく英語を話せて書ける人こそが、「英語が本当にできる人」なのでしょう。こう考えてみた場合、やはり英語学習の道終わりがなく感じられてしまいます。

 

10ヶ月間の英国留学で、ぼくは「英語ができる人」にはなれませんでした。もちろん留学前に比べれば英語を話す力・聞く力は上達しましたし、一人で外国で生活をすることができるレベルまでは達したと思います。それでもビジネスマンとして英語圏の国で仕事がこなせるかといえば、それは難しかったでしょう。


ぼくの感覚では、「普通の日本人よりも少し英語ができる」くらいのレベルだったと思います。

 

(鈴木順一)

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