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logical notes

「対偶」を使って表現に論理性をもたせる

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「逆・裏・対偶」

 

論理的表現について考えるために、少し「論理学」に触れてみましょう。

 

とは言え、特別専門性の高いものを扱うわけではありません。高校数学で習う「集合と論理」(数学Ⅰ)の単元の内容です。

 

「『A』ならば『B』」という命題に関連して、「逆・裏・対偶」というものがあります。

 

 「B」ならば「A」

 

  • 「A」ならば「B」:「AB」
  • 「B」ならば「A」:「B→A」(「AB」と同じ)


このように矢印で表現すると、矢印の向きがになっているのがわかります。

 

「Aでない」ならば「Bでない」

 

対偶

「Bでない」ならば「Aでない」


逆の裏裏の逆にあたるものだとお考えください。


「『A』ならば『B』」という元の命題が前提としている包含関係と、「逆・裏」が前提としている包含関係は異なります。「対偶」が前提としている包含関係は元の命題と同じです。

 

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今回の記事では、以上の「逆・裏・対偶」が表現の論理性にどのようにかかわってくるのかを考えてみたいと思います。

 

「猫は哺乳類」と「哺乳類は猫」


次の3つのうち、「猫は哺乳類である」を言い換えたものはどれでしょうか?

 

  1. 哺乳類は猫である
  2. 猫でないものは哺乳類でない
  3. 哺乳類でないものは猫でない


答は、3つ目の「哺乳類でないものは猫でない」です。


1つ目の「哺乳類は猫である」「(犬など)哺乳類であるけれども猫でないもの」を、2つ目の「猫でないものは哺乳類でない」「(犬など)猫でないけれども哺乳類であるもの」を考慮に入れると、「間違いである」ということがわかりやすいかと思います。


「逆・裏・対偶」の発想で考えると、次のように捉えることになります。

 

  1. 哺乳類は猫である:「猫は哺乳類である」の
  2. 猫でないものは哺乳類でない:「猫は哺乳類である」の
  3. 哺乳類でないものは猫でない:「猫は哺乳類である」の対偶


ポイントは意味の範囲。次の図を見てみると、わかりやすいかもしれません。


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「猫は哺乳類である」

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「猫は~」の文が伝えようとしているのは、ピンク色で示した範囲です。「『猫』であるならば『哺乳類』である」と言い切れます


「哺乳類は猫である」 

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「哺乳類は~」の文が伝えようとしているのは、ピンク色で示した範囲です。「哺乳類」の中には「猫でない『犬』」も含まれていますので、「『哺乳類』であるならば『猫』である」と言い切れません

 

「猫でないものは哺乳類でない」
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「猫でないものは~」の文が伝えようとしているのは、ピンク色で示した範囲です。「猫でないもの」の中には「哺乳類である『犬』」も含まれていますので、「『猫でないもの』であるならば『哺乳類』でない」と言い切れません

 

「哺乳類でないものは猫でない」 

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「哺乳類でないものは~」の文が伝えようとしているのは、ピンク色で示した範囲です。「『哺乳類でないもの』であるならば『猫』でない」と言い切れます


ここまでのことで言えるのは、次の2つです。

 

  1. 主語の設定は大事だということ
  2. 言い換えるときには対偶を意識したいということ

 

論理的な理由づけ


「逆・裏・対偶」の発想は、表現の論理性に大きくかかわる「理由づけ」にも応用できます。例文を用意しました。

 

<例文α>

真の国際人はXを有する者である。なぜなら、Xがあれば、Yができるからだ。

 

<例文β>

真の国際人はXを有する者である。なぜなら、Xがなければ、Yができないからだ。

 

どちらのほうが論理的?


答は<例文β>です。


<例文α>に対しては、「要は、Yができたらいいんでしょ。であれば、(Xでない)ZでYを実現すればいいだけじゃないですか」という批判の余地が残ります。


<例文α><例文β>を並べて比べてみたときには、その違いを認識するのは難しい話ではありません。問題は、自分から発信する場面において、<例文α>ではなく、<例文β>確実に選択できるかです。


自分が詳しい事柄について発信する場合など、<例文α>に対する批判の可能性を瞬時に見抜けるときには、「<例文β>を書く/話す」という選択ができるでしょう。


でも、いつもそうだとは限りません。このとき手がかりとなるのが「逆・裏・対偶」の発想です。

 

まず、主張にあたる文を確認します。

 

  • 真の国際人はXを有する者である:「真の国際人」→「Xを有する者」


次に、理由の文を確認してみましょう。

 

  • <例文α>Xがあれば、Yができるからだ:「Xがある」→「Yができる」(=「真の国際人」である)

 

  • <例文β>Xがなければ、Yができないからだ:「Xがない」→「Yができない」(=「真の国際人」でない)


主張と理由を合わせて考えると、次のように捉えることができます。

 

<例文α>

真の国際人はXを有する者である。なぜなら、Xがあれば、Yができるからだ。

 

  • 主張:「真の国際人である」→「Xあり」
  • 理由:「Xあり」→「真の国際人である」


主張と理由が「逆」の関係になっています。厳密に言えば、主張と理由が同一の対象に向けられたものになっていません。

 

<例文β>

真の国際人はXを有する者である。なぜなら、Xがなければ、Yができないからだ。

 

  • 主張:「真の国際人である」→「Xあり」
  • 理由:「Xなし」→「真の国際人でない」


主張と理由が「対偶」の関係になっています。主張と理由が同一の対象に向けられたものになっています。


「逆・裏・対偶」の発想は、言葉で何かを伝える場面においてたいへん有効です。「どうすれば論理的な表現になるのか」がわかりにくいときには、一度、「逆・裏・対偶」を意識してみてはいかがでしょうか。

 

(吉崎崇史)

 

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