高校卒業まで
中高の6年間、どのように英語を勉強してきただろうか。それを振り返っても確かなことは思い出せないが、イディオムを覚えたり、文章の内容を覚えたり、いわゆる「定期試験対策に」をしていたことは確かだろう。さらに、当時の私はそれなりに覚えようと思っていた(だろう)が、何の法則もなくやみくもに取り組んでいたし、「長文」も英語で考えるというより、日本語訳を覚えていたと思う。
だから、試験では覚えていたことではなく、ちょっと聞き方を変えた問いを出されたら、何も分からなかった。その意味で、英語だけではなく全ての教科で点数が悪かった。
(一言語学習者としての振り返りをしているはずが、自分の恥をさらけだしていると、心の声が聞こえてきた)
先生の言うことを書き留め、自分で考えることなく、「なるほど」と聞くことはできても考えることはできなかったと思う。
それに気づかされたのは、模試で初見の文章に触れたときであった。自分で英文を読めなかった。見たことのある単語であっても、意味がわからなかったし、まして見たことのない単語も続々と登場する。「知っている単語の意味を日本語に置き換えてしのいでいた」だけである。
当たればラッキー、当たらなければアウト。無論後者の方が多い。当たったとしてもなぜかはわからない。
代ゼミで
結果的に2年間お世話になったが、1年目の代ゼミ生活で英語についての考えを変えられた。
自分で英文を読めるようになったのだ(といっても、元がひどかったから、「読める喜びを得た」と言った方が良いかもしれない)。
後に個別指導の講師としても役に立ったと思うのが、品詞についての理解であった。わからないときに、辞書を引いて「何となく合いそうな意味を使う、上の方から合いそうな意味を採用する」のではなく、文法的に判断するということを教えてもらった(もちろん、富田先生のやり方を批判する人もいるが、少なくとも今の自分はこの上にあることは間違いない)。
今でも覚えているのが、
(1)He runs fast.
(2)He runs mad.
(3)He runs the store.
こういう例文だった。
「(1)は彼は速く走る、(2)は彼は気が狂って走る、(3)彼は店に向かって走る」と訳すことがダメだと教えるためのものだった。
先に述べたが、私は run を「走る」と思っていたので、runのところに「走る」を、それ以外のfast, mad, storeにもそれぞれ訳を当てはめて理解する勉強をしていた。
もちろん、文型の勉強はしていたし、第3、第4、第5文型を気をつけないといけないと、頭は知っていた。しかし、繰り返すが、自分で判別することはできなかったのである。
そして、辞書で調べると run には文型に応じて意味が変わる(というより、第3文型で取りうることとその意味!)ことがちゃんと載っているではないか。
これだけではないが、自分で分解して文を読むことを教えてもらった。
高校生対象の個別指導塾で
大学に入った私は、当初考えていた通り、代ゼミで学んだことを活かそうと個別指導塾でアルバイトを始めた。
勉強のできなかった私だからこそ、どうやって読めるようになるかを伝えられるのではないか、今思えば傲慢な考えではあるが、パズルを解く感覚で英語や古典を文法からアプローチしていったのだ。
(1)「前置詞」開眼!
職場の塾で、英語を専門に勉強している院生のAさんとお会いした。
数年前、イメージで前置詞を理解する本がベストセラーとなったが、そのことを今から10年以上前に教わった。辞書を引くと、前置詞は多くのページを割いて説明が載っている。一方、英語は母語とする子なら5歳でも話せるのだ。5歳の子どもの脳みそに前置詞の説明全てが入っているとは思えない(失礼!?)。
on は「接する」というイメージで理解したとき、大体の説明がつくことを教えてもらった。他にも、多くの前置詞について教わった。勉強の「省エネ」である。いかに少ないことを覚え、活用するかにつながった。
(2)「仮定法」目から鱗!
Aさんの教えはそれだけではなかった。仮定法についても、よくある「もし私が鳥だったら、あなたのもとに飛んでいけたのに」の例文で始まる講義ではなかった。
(補足しておくと、Aさんは講師育成の観点から、個別指導の講師にも講義をしてくださったのだ)
今となっては詳しく覚えていないが、「現実世界のイメージ」と「仮定の世界のイメージ」をする際に、助動詞の過去形を使うのが後者のしるしであるようなことを教えてくださった。
仮定法についての理解がある方にとっては、この説明は「その通りだ」と思うだろう。でも、「5歳の子」の観点で考えるなら、「もし私が鳥だったら」よりも説得力があったのだ。
(3) ◯◯を英語で表すと
もう1つAさんとの学びで大きかったのは、「歌詞を訳す」ということだった。どれもベタ褒めしているようになってしまうが、これもまた言葉の楽しさを感じたものだった。受験英語とは直接関係ないように見えるが、結果的に「大あり」だったと思う。平井堅さんの「LIFE is...」など当時流行っていた歌を用いてそれにふさわしい英訳を議論した。
そう、これは塾が終わってから、Aさんの車に乗って私の下宿先のファミレスに行き、深夜二人で、ドリンクバーに頼りながら「あーでもない、こーでもない。おっ、これピンとくる」と言いながら考えていたことは今でも覚えている。そのおかげで、そのせいで、大学の授業に出られず(朝起きられず)、周りに迷惑をかけたこともあった。
「LIFE is...」の歌詞を英語に「置き換える」訳にしてみたところで、平井堅さんの思いとは別のものになってしまうだろう。残念ながら、当時推敲した原稿はもう残っていないし、今の私には「きれいな英訳」をする能力はない。
しかし、「LIFE is...」の「目深にかぶった帽子」が何を意味するのか、英語ではどのように表現するのが詩的に良いのか、それを話し合ったことは、とても楽しい時間であったし、「要はその人が何を言いたいのか」を考えることが大切であることを実感した出来事でもあった。
フランス語
英語については書くことがたくさんあるが、フランス語はほとんどない。それは、大学で第二外国語として2年間しか勉強しなかったからだ。
私は迷うことなく、第二外国語でフランス語を選んだ。それは、浪人中にひょんなことからフランス人と出会い、その後もやり取りを続ける中で、「フランスに行ってみたい」と思ったからだ。世界を広げたい!という若者の壮大な夢からフランス語を始めたのだ。
すると、大学1年目の7月にフランス巡礼の機会をいただいた。学期中なので、大学を10日間ぐらい休まないといけない。今なら厳しくなっているので難しいかもしれないが、私は各講師にお願いに上がり理解を得られた。行くことが決まったら、なんと真剣に授業に取り組んだことだろう。
動詞の活用、名詞が男性女性中性変化・・・面倒だったが、目的意識だけは高かったので、なんとか理解し、覚えようと試みた。幸い文法は英語と似ているところも多かったし、考え方は英語をベースにできたので、文法の説明は大体の部分で難なく理解できた。