「【読書会】マクニールの『世界史』を読む」の第1回目(シュメル文明以前)の参加者Aさんから振り返りコメントが届きましたので、紹介させていただきます。
- 図書:ウィリアム・H・マクニール「世界史(上)」(訳:増田義郎・佐々木昭夫)中公文庫(2008)
- 範囲:68頁まで(シュメル文明以前の範囲)
本との向き合い方
この場を借りて読書会の振り返りをするにあたって、まず、課題図書とどのように向き合ったのかをお伝えしたい。
私は、現代の疑問とリンクする事象、疑問への答えを探しながら読んだ。
アフリカ、中東、未知のエリアで事業展開する企業、人に関与する機会は増える。なので、一地球人として同じ時代を生きる人々を知る必要性は大きい。これから向き合うだろう人について深い理解をするための教養、知識を身につけたいという思いを込めてマクニールの「世界史」を読んだ。
読書会に参加して感じたことは、他人の魅力に気づく、相手をよく知るための時間でもあるということだ。参加者との議論を通じ、様々な視点と発見はその人にしかない感性からのものなので、議論から垣間見えるその人の興味関心は魅力的だと感じた。
個人的なことだが、人に興味を持つということは仕事上とても必要な意識だと考えている。人に興味を持つ感覚や、興味の持ち方を養える場でもある気がした。
キーポイントは何だったか?
- 人間の集団行動の形成・変化の仕方
- 「共同体 > 個人」という構図があったこと
これらについての議論が大きな軸であったと考える。
この記事の中でも示された「共同体 > 個人」の構図についての議論には考えさせられた。と言うのも、現代では共同体のために我慢する必要があることは圧倒的に少ないので、気づかなかった視点だったからである。
この記事でも少し触れられた「個人個人が自らのメリット・デメリットを考えて行動していたのではないか」という観点も新鮮であった。
他集団との対面時になされる祭り事、交換、結婚・・・これらについての考察の時間は実に楽しかった。
何を交換するか、誰と結婚する(させる)か。こういったことは、少なからず集団内で要求される。集団を維持していくための条件・要件は当時にもあっただろうなと考える。
ところで、他集団と出会った時、彼らの比較優位はどんなところで感じていたのだろうか。
高価なもの?貴重なもの?
当時はどんなものだったのだろうかと想像を巡らせてしまう。プロポーズで牛を贈る国がある。家畜が交換対象であることは現代でも残っている。
私は、シュメル以前の範囲を読んで、「文明が起こることの基本的条件ー地理的要件」に特に関心を抱いた。
マクニールの「世界史」には図などもあり、「今はどうなってるんだろう」と思い、地名をGoogle MAPで確認しながら読んだ。その結果、現在世界で一番争い事の多いエリアがシュメル文明発達の地であったことを知り、非常に驚いた。それだけ人類・文明にとって、中東は普遍的な重要エリアだということか。
印象に残った関心事3つ
今回の範囲で印象に残った関心事を3つ挙げたい。
①水の大切さ
灌漑・水の重要性について考えさせられた。
水利権の争いは死活問題であり、水をめぐる争いはシュメル人の生活において何度も繰り返される重要な特徴となったという記載や、灌漑を用いて富を築いたシュメルの都市は攻撃目標となったという記載があった(65頁)。
灌漑・水は現代の途上国や紛争地域の復興支援でも、人が生きる土地作りの大切な要となる分野であり、未だ争いの種にもなっている。
人が生きていく上で必要な水利権が、文明の始まりからの重要課題であり、争うべき対象としてあったことを再認識できたことは、私にとって大きな収穫であった。
②パワー構造
「世界の均衡 = 文明の均衡」であり、軍事力が鍵となったことは現代の国益要件とも一致する。その最初を確認できたこと、そして、それについて議論ができたことはよかった。
③宗教の力
宗教が一神教始まりではなかったことを知り、驚いた。そして、イデオロギー形成のために宗教が用いられるというのは文明の始まりからであったことも知り、怖さも感じたのが正直なところである。
議論の中で、神の存在は農耕に強く結びつく物事にまつわるものがメイン(?)であることに気づく。天候にまつわる神の災いは生命に関わってしまう農作物に影響するものではないかという意見を聞き、「なるほど」と思えた。
宗教の形成はコミュニティの曖昧さを誤魔化す、正当化するためにも必要だったことも改めて感じた。責任を誰に問うのかわからない曖昧な物事に対して好都合だったということか。あるいは、責任を誰も負いたくない物事について、神様の話を知識ある層は上手に作り上げたのではないか。言い出しっぺのような存在、起点については非常に興味深い。
また、各コミュニティ、各共同体ごとに神様がいた(設定されていた)のではないかという意見も面白かった。「世界各地の神話って、その地域で発達した文明と繋がりがありそう!」と感じ、各国の神話を読むということにも新たに興味を持った。とても面白い話だった。
考えさせられたこと
自然環境に合わせた形で人は生かされていた。この人類の始まりの内容は、現代の生き方について、疑問を持つべきことはないか、再認識すべきものはないか、と課題を投げつけられた気がした。
森林地域、寒い地域、大動物の生息地域。人間は定住する場所を周辺環境に合わせて、工夫していたという歴史を持つ。そして、暦・季節を導く頭脳。先人たちの知識は測り知れないレベルの知能の成果であり、現代に生きる私たちは果たしてタイムスリップしたところで、誰がその答えまでたどり着ける力があるだろうか。私たちにそのような生命力はあるだろうか。
先人たちの生き方、頭の使い方、工夫の仕方、そして、生きていくというエネルギー。そのような生命力を私たち人間は備えているんだということを教えらえた気がする。
読書会ならではの読み方の議論
読書会当日、次の記述についての読み方の議論は面白かった。
「自然環境から略奪するだけの存在でなくなったとき、人間の数は飛躍的に増した。もはや人間は珍しい種ではなくなり、人工稠密な居住地を作って、自分たちの活動により、自然界における動植物の生活のバランスを大きく変えた。これは、ひとつには発明の力によるものであったが、もうひとつにはまったく予期も意図もしない力によるものでもあった。」
- マクニール「世界史(上)」54頁
この最後にある「まったく予期も意図もしない力」とは何か。私は特に気にせずに読み流していたのだが、読書会の参加者のひとりが「これは何だろうか?」という疑問を提出された。
この54頁の記述についての解釈の議論が新鮮で、かつ、刺激的だったので、少し紹介したい。
まず、「自分たちの活動により、自然界における動植物の生活のバランスを大きく変えた。これは、・・・」に着目。下線部「これ」の指示内容は、直前の「自然界における動植物の生活のバランスを大きく変えた(こと)」である。
- 「これ」=「自然界における動植物の生活のバランスを大きく変えたこと」
この内容を「A」とする。
自分たちの活動により、自然界における動植物の生活のバランスを大きく変えた。
下線部「より」に着目すると、次の関係が読める。
- 「自分たちの活動」→「A」
これは、ひとつには発明の力によるものであったが、もうひとつにはまったく予期も意図もしない力によるものでもあった。
先に述べたように「これ」=「A」なので、下線部「よる」に着目すると、次の関係も読める。
- 「発明の力」→「A」
- 「予期も意図もしない力」→「A」
「自分たちの活動」の「ひとつ」が「発明の力」であると考えれば、「もうひとつ」である「予期も意図もしない力」も「自分たちの活動」と読める。であれば、「自分たちの活動」であるのに「予期も意図もしない力」になったのは何なのか?
こういったことを皆で話し合えたのは貴重な体験であった。
自分ひとりでは気づかない読み流していた疑問に気づく人がいる。これが読書会の醍醐味だと感じた。数人で集まって想像し、頭を悩ませることは非常に面白い時間であると感じた。
振り返り後の私の解釈
読書会を終え、当日の議論を振り返る中で考えた私の解釈を述べたいと思う。
動植物の生活のバランスを大きく変えたもの…予期しない力とは、発明の力ではない「もうひとつ」のものとは、その発明が続いた結果の、副産物というか人類が得た恩恵の副作用的なものが、何か起きていたのではないかと想像する。
現代では、発明の力によるあらゆるものの結果として、人間の生活の方が変化を強いられている。そのような事象は数多く起きている。それらは誰も予期していないし、意図もしていないものだ(一部の者は早くから警鐘を鳴らしていたかもしれないが)。
「自然環境から略奪するだけの存在でなくなったとき、人間の数は飛躍的に増した」という記述から私が推測したものがある。
当時の自然環境では、現代の私たちでは見たこともない、未発見の、ものすごく希少な何かが存在していたのかもしれない。そういったものが当時の開拓過程や土壌変化等によって失われた結果、それらで生命をつないでいた品種が絶滅し、あるいは食物連鎖の生態系の中で、気づけば人類がマジョリティになっていたというようなことがあったのではないか。
(現代でも古代遺跡史料からも読み取れていないような希少な何かがあったことは否定しきれないと思う。マクニールの「世界史」にも、初期の農耕民は痕跡をほとんど残していないので、現代も正しく復元することはほとんど不可能、つまり解明されることはないという記述があった)
当時も現在でも証拠がなく説明のつけようのない、長い発明の歴史の副作用、生態系的な影響の結果が起きていたのではないだろうか。
このような想像をする時間は豊かな時間である。社会人になってからは特にそう思う。定期的にこのような時間を設けることができる読書会に参加してよかった。
残った疑問
今回の読書会範囲において、軍事力と君主制については疑問が残っている。今後、読書会への参加を重ねていく中でも気にしておきたいところなので、備忘録的に記しておきたい。
帝国主義以前の時代ー君主制の時代、「国家・国民」というキーワードはまだ無かったと何かの本で読んだことがある。君主制、帝国主義がさらに近代化についていけず、限界がきて滅んだ後に国家・国民という思想が必要になって生まれたという話だ。
では、シュメルの土地に住む人々はどのレベルまでの共同意識・価値観で自分たちのコミュニティを生きていたのか。
当時の君主制を想像するに、神官から遠くはない人だけが直接指示を聞いていたはず。多くの村人(?)は、支配者の思惑等について無知なその他大勢になっていたと思われる。
マクニールの「世界史」には、神官のリーダーが軍事力を強化する過程で、より若く精力のある者を見つけて代理にし、軍事指導者にしたとあったのだが、まさか、その他大勢の村人から自由に探すわけではないだろう。神官に近い人物から選んだと考えるのが自然である。
では、どのような階層の住民、どのような思想の住民が軍事力を構成する者たちだったのだろうか。周辺の制圧した地域からの力も集めたとされるが、それはどのような人なのか。
当時は国民意識が芽生える前であり、「自分の地域(国家)のために」という思想はなかったはずである。シュメルの土地にも複数の独立した都市があり、統一帝国の樹立が非常に困難な課題であった。
当時の所属意識は脆かったのだろうと思われ、そのような状況にあって軍事力と君主制のあり方はどのようなものであったのだろうか。
この所属意識については、その後の文明に持ち越された課題であると思われ、次回以降の読書会の中で自分なりの見解を確立させたいと思う。
(読書会参加者Aさん)