2020年、ロジカルノーツ主催の読書会をはじめます。
- 名称:マクニールの「世界史」を読む
- 図書:ウィリアム・H・マクニール「世界史」(訳:増田義郎・佐々木昭夫)中公文庫(2008)
マクニールの「世界史」を少しずつ読み進めていく会となります。
第1回目は次の通り。
- 日時:2020年1月19日14時〜17時
- 会場:コモンルーム中津 6階貸会議室(大阪市北区豊崎3-13-5 TKビル)
- 範囲:マクニール「世界史」(上巻)68頁まで
本読書会では、各回、範囲と発表者を事前に決め、読書会当日にはその指定範囲や発表内容等についての議論を重ねます。参加者各自の読み方を共有するのが目的です。
第1回目の発表は、ロジカルノーツSenior Administrator の吉崎が行います。本読書会がどのようなものなのかをお伝えするため、第1回目の発表資料を公開させていただきます。
読書会当日は以下の発表内容をもとに議論を重ねます。そして、後日、読書会で交わされた言葉や寄せられたコメント等を公開させていただく予定です。
【読書会】マクニールの「世界史」を読む(1)
- 図書:ウィリアム・H・マクニール「世界史(上)」(訳:増田義郎・佐々木昭夫)中公文庫(2008)
- 範囲:68頁まで
- 発表:吉崎崇史
はじめに
幼児期の長い現生人類は、学習期間が長くなる。そのため、「文化的進化 > 生物学的進化」の関係が成立しやすく、この関係の成立時がマクニールの言う「本来の厳密な意味での歴史がはじまった」(47頁)時である。
生物学的特質のみでは説明のつかない性質が現れること。このことが他の生物と比較した上での現生人類の特徴である。これがマクニールの人類観であり、かつ、歴史観の前提であると思われる。
今回の読書会の範囲では、文明のはじまりとされるシュメル文明に至るまでの経緯が説明されている。まずは、出来事の流れを概観してみたい。
シュメル文明に至るまでの経緯
約3万年前の氷河の後退、この自然環境変化が人類の文化的進化に大きな意味を与えた。特に西ヨーロッパでは、赤道からの暖かい海水を運ぶメキシコ湾流の影響もあり、生活スタイルの大きな変化がもたらされた。
まず、湿潤な気候が生まれたことによって植生が豊かになり、亜寒帯性の大型草食動物(マンモスやトナカイなど)が多数繁殖し、これを食糧とするための必需品(毛皮服、錐、ひも)が発明された。
氷河の後退と気候の温暖化がさらに進み、寒いエリアに移動する動物を追う者、暖かいエリアの動物を食糧にする者、ボートや網などを発明して水棲動物を食糧とする者など、生活スタイルが多様になった。
紀元前8500~7000年頃、中東で農耕牧畜が開始。最初の食糧生産は木の生えた土地で始まったとされる。幹を包んだ樹皮をはぎ取って木を枯らし、耕地を作った。狩猟採集から農耕牧畜への変化は必需品の変化をもたらし、磨製石器や土器などが作られ、また、生活スタイルも大きく変化した。
その後、ティグリス川とユーフラテス川の下流の沖積平地において、川の水を利用し、シュメル人が豊かな穀物栽培に成功。
川の水を利用するために大規模な河川工事を行う必要上、集団労働を前提とする社会が生まれた。このことにより集団を管理する支配階級が欠かせなくなった。また、職業が分化し、高い技術と知識が生まれた。この地に最初の村落が現れた紀元前4000年ごろから1000年の間に文明が発生した。
以下、今回の範囲を読み、私が感じたことを述べる。
要求される能力の変化
生存を維持するための食糧の供給量を人がコントロールできるようになった。これは大きな意味をもつ。
狩猟採集という獲得経済だと、食糧を獲得できるか否かは大きな偶然性に委ねることとなる。これに対し、農耕牧畜という生産経済だと、食糧を獲得できるか否かはその労務に従事する者の取り組みによるところが大きい。この点についてマクニールは次のように述べる。
「農耕民は、畠で規則正しく、骨おしみせずにきちんと働かねばならず、また植えつけのための正しい季節を見きわめるために、時をはかる必要をもつ。」
- マクニール「世界史(上)」54頁
これはどのような性質が望まれるのかに関わる記述であり、現代社会においても通じるところがある。マクニールは重ねて次のように述べる。
「勇気とか力に訴える習慣は、狩猟民にはなくてはならぬものだったが、農耕民にはさして重要でなかった。」
- マクニール「世界史(上)」54頁
共同体 > 個人
食糧を確保できるか否かは生存に直結する。農耕牧畜によって、人は自らの生死をコントロールすることができるようになった。
「農耕のもたらした変化」(52頁~)のところでは次の記述がある。
「農耕民の生活スタイルは狩猟民のそれとはちがったものになった。未来への見通しを持つことや自分をおさえることも必要だった。飢えのときですら、未来の収穫を確保するため適当量の種子を取っておかねばならなかったからである。」
- マクニール「世界史(上)」54頁
「飢え=現在の生存の危機」と捉えると、「未来の生存(収穫)」のために「現在の生存」の危機を受け入れるということとなろう。
私自身が飢えて死にそうな場合、未来の生存の可能性よりも現在のそれを重視したいと考えるだろう。そのような場合にあって未来の収穫を確保するために死を迎えるとすれば、その要因は次の2つだと思われる。
- 共同体からの圧力
- 自己犠牲の精神
いずれにせよ、未来の収穫(=共同体の生存)のために特定個人の餓死を受け入れるということであり、だから、私は「共同体 > 個人」という意識の芽生えを感じとった。
食糧を安定的に供給し続ける農耕のためには共同体の協働が欠かせない。これは「共同体によって生かされている」という意識につながると思われ、この意識が特定個人の生存本能を超えたということかもしれない。
「生かされている」という意識
協働を前提とする農耕においては「生かされている」という意識が強くなる。この仮定を前提に、シュメルの宗教についての記述を読んだ感想を述べたい。
農耕は季節を把握しなければならず、そのためには暦が必要となる。この暦の専門家が神官であった。
「暦を伝えてゆくためには知識が必要だったが、その知識のおかげで、神官たちは社会のうちでも特にきわだった地位を占めることができた。一般の農民にしてみれば、季節を予言することのできる人たちは、神々と特別な関係にあり、尊敬に価すると考えられたのである。」
- マクニール「世界史(上)」60頁
シュメルの神学体系についてマクニールは次のようにまとめる。
「神は、天の神アヌに治められる神の政治的社会の中に地位をもった。毎年、偉大な神々は新年に集ってその年の事象を定めた。個々の神はそれに従わねばならなかった。・・・神といえども、神々の全共同体に従わねばならず、その年の運命が決定されたからには、神もそれをくつがえすことはできない。嵐と雷鳴の神エンリルは、神々の意志のおもな執行者だった。彼は、毎年新年の決定に従って、罰をくだし、災いをもたらした。」
- マクニール「世界史(上)」61頁
ここでも「共同体の意思 > 個の意思」の関係が成立している。
注目したいのは、神(エンリル、決定した神々の共同体)が災いをもたらすとされたことである。人智を超えたものに災いの理由を求めたのである。
人がコントロールできないもの(天候など)によって農耕民の生存が左右されるという事情もあったろうが、狩猟民においても生存はコントロール外のもの(気候変動など)によって左右される。
シュメルの神学体系についての記述を読み、私は、農耕によって人が自らの生死をコントロールできるようになってきたことが影響しているのではないかと感じた。
狩猟生活であれば、その日を生きのびることができるか否かは、極端な話、運次第であろう。獲物に出会えなければ食糧を入手できないし、追いつめられた獲物に殺されるかもしれない。放浪には他にも多くの危険があるだろう。死に直結する要素がコントロール外のものばかり。このようなとき、コントロール外のものがありすぎて、それに特別な意識を向けることもないのではないか。
農耕生活であれば、人の営為によって生存確率を大幅に高めることが可能となる。それでもやはりコントロール外のものの影響から完全に脱することはできず、それに特別な意識を向けるようになったのではないだろうか。コントロール可能なものがあるからこそ、コントロール不可能なものに目が向くとでも言おうか。
私はやるべきことをやった、それでもうまくいかない。このようなとき、他者の集合でもある共同体にその要因を求めだすと亀裂が走るのは想像に難くない。だからこそ、死をもたらす要因を神に求めたのではないだろうか。「どうしようもなかった」という諦めが救いになることもあるように思う。
戦いの相手が「人」に
狩猟採集時代について、次の記述がある。
「隣接した集団間には反目もたまにはおこったかもしれない。しかしその証拠は実はないので、現存する石刀や石斧は人殺しの武器であったかもしれないが、また動物を狩る道具であった可能性もあるのである。」
- マクニール「世界史(上)」48頁
マクニールがこのように断定を避けて述べたことは興味深い。
ここで、シュメル文明の灌漑についての記述(64頁~)を確認したい。
「灌漑用水が大きく長くなるにつれて、河から新たに水を引くことは、そのたびに下流での水の供給量に影響を与える・・・水利権の争いは、乾期になると死活の問題になる可能性が充分にあった・・・隣り合った町々の間に戦争がおこり、それはまた連合した諸都市間の争いにまで発展して、これがシュメル人の生活において何度もくりかえされる重要な特徴となった。おまけに、外からの蛮族に対する防御は、いつも困難な問題だった。川の流域はひろく開けて敵の攻撃にまったくさらされていたし・・・巨大な富を持つシュメルの都市は、好個の攻撃目標となった。」
- マクニール「世界史(上)」65頁
生存のための戦いの相手が「人」になったということである。ただし、この「人」は「外からの蛮族に対する防御」という言葉にもあるように「外の人」である。(共同体の範囲の画定の問題は残るが)共同体内部での争いではない。この65頁の記述を読み、私は、「内と外」や「自と他」の意識の顕在化を感じた。
他人に奪われる。これは人智を超えたものによる災いではない。人による災いである。だからこそ、宗教に救いを求めるのではなく、人の力による解決、つまり、軍事力による解決をはかるようになったのではないか。
「平和時には、・・・権威者は神官の長であったろうが、戦時になると、彼はみずから軍事的指導者となるか、ないしはより若く精力のある者を見つけて、自分(そして神々)の代理として軍隊を指揮させる必要に迫られた。・・・戦争状態が恒常化したとき、軍事的指導力は、儀礼その他の平和時の機能を犠牲にしてまで強化されねばならなくなった。時には、神官と軍事指導者の間に軋轢がおこった。」
- マクニール「世界史(上)」66頁
この結果として、シュメル文明は、武器の改良や軍隊組織の改善、兵力の増大に力を注いだ。また、法典の公布、官僚制、郵便事業など、遠隔地の人を統制するシステムも作った。
なぜ奪おうとするのか?
シュメル文明の説明をしている都合上か、マクニールは、奪われないようにするための軍事化という面からの記述をしている。「奪おうとする者」の存在が前提にある。
では、なぜ「奪おう」とするのか。ここに「文化的進化 > 生物学的進化」という現生人類の特徴が現れているような気がしてならない。
姿形が同じようなもので、生物学的な基礎能力も同一。それなのに、一方は飢えに苦しみ、他方は豊かな生活を送る。しかも、そのギャップを目にする。これが「奪おう」という意識につながるのではないか。
たとえば、人はライオンほどの物理的な力をもたない。ライオンのように狩りをすることができない。ライオンが獲物を食べているとき、人がそれを見てひもじい思いをしているとする。このとき、人はライオンが獲得した食糧を「奪おう」と思うだろうか。
あるいは、人が飢えて死にそうなとき、大洋ではシャチが腹一杯にしている。その光景を目にしていない人が「奪おう」と思うことはない。
生物学的な基礎条件が同一で、生活レベルが大きく違う。そして、そのギャップを目にする。このとき、「自分も同じような生活ができるはずだ」という意識が生まれる。この意識の暴力的な現れが「奪おう」というものであろう。また、その意識の穏健な現れが「学習」になるのではないか。
マクニールは「序文」で次のように述べる。
「世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって攪乱される傾向がある・・・そうした文明に隣接した人々、またさらにそれに隣接しあう人々は、じぶんたちの伝統的な生活様式を変えたいという気持ちを抱き、またいやが応でも変えさせられる。」
- マクニール「世界史(上)」36頁
これも「文化的進化 > 生物学的進化」の関係を前提に解釈すべきと思われる。
(吉崎崇史)