【紀元前1700年までの商人】について考えたい。
自分たちの足で未開の地へ進み、文明のひろがり、そして大文明の発展に大きな影響を与え、貢献した【紀元前1700年までの商人】たち。いわば“文明のインフルエンサー”であった。その仕事は、我々の生きる現代社会でいうと、どの職業に近いのか。私見ではあるが、【商人】よりも【外交官】に近いように感じられる。
そこで、外交官をしている友人へのインタビューも実施したので、その内容をこの文章の後半部で紹介したい。
なぜ【紀元前1700年までの商人】に惹かれたのか
私は、読書会【マクニールの「世界史」を読む】の第2回目に参加した。指定された範囲はウィリアム・マクニール「世界史(上)」(増田義郎・佐々木昭夫)69~104頁。シュメルの地から他の大陸へ文明のエッセンスが広まり、新たな地で文明が起こる。そのような発展・拡大の過程をテーマとする章である。読書会当日には紀元前1700年までの文明のひろがりを皆で確認し、対話した。
至る所に【商人】という言葉が記載されていたのが、この章の1つの特徴であったと思う。【商人】たちが大陸を移動し、他の地域と交易をしていく過程で“文明のエッセンス” を交換していた。この点についての記載の中には興味を惹かれる表現が非常に多かった。
まず、私が【商人】を意識して読むきっかけとなった箇所を紹介したい。初期のヒッタイト文明に関する記述である。なお、以下の引用部では、【商人】という言葉、および、【商人】を前提とする言葉を太字にしている。
「その当時、同地方の支配者たちは、すでに兵士、神官、商人、職人の側近団に取り巻かれはじめており、小規模ながら、その後1世紀ぐらいして成立したヒッタイトの首都ハットゥサスの宮廷生活の原型をさし示している。(中略)あるていどの富と労働力を蓄積してのち、はじめて文明社会の商人が実際に商売を行うことができた。遠くの文明地帯で生産された品物は、あまりに高価すぎて一般の農民の関心をひくことはできなかったと思われるし、文明社会の商人が交換によって手に入れたいと思った品々ー例えば、金属、木材その他の原料ーは、輸送その他の準備をするのに、ちゃんとした運営方式がなければならなかった。」
- マクニール「世界史(上)」94、95頁
この後、「そのような仕事のために一地方の人力を組織化し、文明社会の商人から布や金属製品その他の器材を買った人々は、元来ある民族集団を征服した民族集団の指導者であり、それによって得た富と力を利用」と続く。
【商人】は、自分たちの文明の支配者以外にも、他の文明の支配者層ともコミュニケーションをとれる立場であったことが読み取れる。
【商人】という言葉に注目して読み進めると、他の文明の記述においても考えさせられる箇所がたくさんあった。
「メソポタミアの他の僻地でも、似たようなパターンの社会の進化がおこったようである。西方のカナン人は商人的傾向がつよく、軍事的性格はうすかったらしい。」
- マクニール「世界史(上)」95頁
「クレタの遺物の堆積をしらべると、紀元前およそ3000年ごろまでに、エジプトと通商を行っていた証拠がはっきりと認められる。それから千年ほどすると、本格的な文明が出現し、紀元前2100年ごろ、有名なミノスの宮殿がはじめて建設される。」
- マクニール「世界史(上)」97頁
「ミノア文明の栄華を創った工人その他の専門家を養うための富は、主として海洋貿易によって得られたーないしは得られたらしい。ミノアの船は、地中海をひろく航海した。主に青銅を作るのに必要な銅や錫を見つけるために遠洋航海が行われたのだろう。(中略)クレタ自身も木材とオリーヴ油をレヴァント地方とエジプトに輸出した。さらに、ミノアの商人は、東地中海の文明社会の工人と、北・西地中海の原料生産者との間の橋わたしをしたらしい。」
- マクニール「世界史(上)」98頁
そして、紀元前1700年までの文明のひろがりを扱った章の結論段落には、次の記述がある。
「複雑な特性をすべてかねそなえた文明の歴史は、もう立派にはじまっていたのだ。文明化ないしは半文明化した冒険者、先駆者、戦士、商人、伝道者、鉱山投機家、土地横領者などが、他の弱小民族を侵害し、地球上の新しい遠くの地域にどんどん侵入しはじめた。」
- マクニール「世界史(上)」104頁
【商人】が冒険者、戦士、伝道者などと並べられている。
冒頭でも述べたが、【紀元前1700年までの商人】は“文明のインフルエンサー”のような存在である。自分の足で未開の地へ進んだ当時の【商人】は、共同体内で重要な立場・存在だったのではないかと思う。
そこで、
- 【紀元前1700年までの商人】たちの “特異性”
- 現代でいうと、どの職業に近いのか
について考えたいと思った。
また、私は【紀元前1700年までの商人】を【外交官】に近いものだと捉えたので、【外交官】をしている友人にインタビューを行い、【紀元前1700年までの商人】たちの“文明のインフルエンサー力”を考察してみた。
【紀元前1700年までの商人】たちの “特異性”
私は【現代の商人】を、簡単にいうと利益を得るため物・サービスを扱う商売人、会社経営者のイメージで捉えている。
※ 商人(三省堂 大辞林)
- 商業を営む人。あきんど。
- 〘法〙 商法上、自己の名をもって商行為を行うことを業とする者をいう。また、店舗などの設備 により物品販売を業とする者、鉱業を営む者も商人とみなされる。
しかし、【紀元前1700年までの商人】の足跡を読むと【現代の商人】とはタイプの異なる職業ではないかと思える要素がたくさんあった。
【紀元前1700年までの商人】が達成すべきことは、他地域の文明を知り、学ぶこと。その上で、必要なものを自分たちの文明に持ち帰り、支配者層たちへ伝えること。文明の支配者から直接に指示を受け、自分たちの文明発展に貢献する役割を担っていた。
【紀元前1700年までの商人】の役割
- 他地域のものを知る・学ぶ
- 他地域のものを伝える
きっと彼ら【紀元前1700年までの商人】たちは(貿易、建築技術、文字・伝達ツール、芸術、農耕、思想などの)分野を問わず、様々な文明のエッセンスを見聞きする力を要し、それらを自分たちの地域に取り入れることが可能なレベルで、物事を伝え、残す力が求められただろう。そして何より、意味不明な言語を使う地域に足を踏み入れると、語学力を超えた、 未知の世界での対人コミュニケーション能力・交渉力が必要であるように思えた。
また、 当時はハンムラビ法典がようやく作られた時代。一歩外に出れば、世界共通の国際法など存在しない、無法地帯だ。商人たちは目的を達成する必要がある一方、 知らない土地、異なる未知の文明に生きる相手の思想・言動も容易に読み取れない環境で自分の身を守りながら、予測不可能な大きな障壁を乗り越える必要があっただろう。
現代とは全く異なる条件下に生き、その中で(現代でいう“一国”の発展のため)重要な使命を担っていたのが【紀元前1700年までの商人】たちである。彼らの“文明のインフルエンサー力”を考察することは、現代社会に生きる我々にも重要な示唆を与えてくれるだろう。
【現代】でいうと、どの職業に近い役割か
彼らが達成すべき目的の内容と、マクニールの「世界史」に記載されていた支配者の“側近”として働いていたという情報(上巻94頁)から、彼らの職業は現代でいうと【外交官(国家公務員)・政治家(国家の発展ために働く者)】なのではないかと直感的に感じた(スパイ的な職務も含まれていたかもしれないが)。
(当時は生きていくため=支配者層に仕え、生活していくためには何でもする、支配者層には絶対服従していたかもしれないので、時代のニュアンスはやはり異なるだろう)
もちろん【商人】として物の輸出入も行っていたので庶民(?)よりも、文明発展のためのアンテナをたて、経済的な感覚は持っていただろう。文明が豊かになるための作戦会議なんてことも支配者層と共にしていたのかな・・・とも想像する。
また、彼らは他文明との【交換】のため、高価な物品のやりとりのために(重かったであろう)“銀棒”を持たされていた(読書会で「銀棒とか交換物を運ぶから相当重い物をもって移動しなきゃいけなかったんだろうなぁ、大変だなぁ」などと考えを巡らせたことは楽しかった)。
【交換】とは、物の交換だけではなく、知識や技術の交換も含む。その【交換】の場では、自分の文明をアピールする力も必要だったはずだ。交換相手からも自分たちの持っているものを「必要だ、欲しい」と感じてもらわねばいけないからだ。
この求められる力や役割を大きく捉えると、彼らは【現代】でいう国家間の友好関係を構築するための「橋渡しの役割」も果たしていたのかもしれない。【外交官・政治家】はそういう使命も持っている。私が【紀元前1700年までの商人】を【外交官・政治家】と捉えたのはこのためだ。
ちなみに、読書会では、【紀元前1700年までの商人】は支配者層とのやりとりをしなくてはならないから、アッカド語を使いこなせる必要があったことについて議論した。このとき、他の地域では全く異なる言語が使われていたから「知らない言語をどうにか駆使する力があったのか?」ということを話し合った。
このように、【紀元前1700年までの商人】の役割を考えるならば、語学力についての考察は欠かせない。また、ほとんど未知なる言語にも対応しなければならないと仮定すれば、その語学力というものも現代とは異なるものなのかもしれない。
語学力が必要な仕事として【外交官】は最たるものだと思う。そのため、私は【紀元前1700年までの商人】を【外交官】と捉えたのだ。
国家公務員試験に合格後は、海外の大学院で修士号をとることが(会社でいう新人研修の)ゴールであり、修士号を獲得してようやく専門性と語学力の基礎が認められ、外交官として初めての赴任地を言い渡され、業務に携わる。このような高度な専門性と語学力を要求される仕事の1つが紀元前1700年までの社会では【商人】だったのではないか。
※ 話は逸れるが、日本ではそこまで必要とされていない(文系学科では特に、就職に不利というイメージをもたれる)修士号・博士号の保有は、世界をフィールドとする職業では非常に重要な要件となっている。
外交官の友人にインタビュー :【紀元前1700年までの商人】たちの“文明のインフルエンサー力”を考える
前述した【紀元前1700年までの商人】たちの特異性・条件から、彼らは現代でいうと【外交官】なのではないかと想像した。
そこで、現在【外交官】として、日本人にとっては未だ遠く、ほとんど未知の国々が存在する、アフリカ大陸の一国で働き、グローバルなフィールドの最前線で様々な事象を経験している友人にインタビューをしてみようと思った。
ちなみに友人の赴任する国では、公用語は英語だが、たくさんの現地語が使われている。友人の経験談、思考回路を聞き、学び、今回の考察の参考にした。その内容を一部まとめたので、紹介したい。
私はインタビューの前に、“文明のインフルエンサー力”を考察するため、3つの疑問を設定していた。
- 未知の文明、未開の地へ踏み入れる時、当時の商人たちはどんな準備をする必要があったか
- 自分たちの文明アピール力と、他の文明に対する見聞力は、実際どれほど必要だったか
- 本当に、紀元前1700年に語学力という力はあったのか・・・「語学力に長けていた者」と考えるのは、当時の文字、伝達技術を前提にすると安易すぎではないか。何か他に、必要な能力を持っていたことは考えられないか。
以上の疑問に沿って、インタビュー内容を対話形式で一部利用し、考察を述べたいと思う。
インタビュー内容①
- 青字:私(本記事執筆者)
- 赤字:友人(外交官)
私「想像で答えてね。あなたには、お国のために、重要な任務を言い渡されました。
- その土地でしか手に入らない素材を我が国の発展のため、持ち帰って欲しい。そして我が国のこの物品と、あの国の〇〇(とても貴重なもの)を交換してほしい。
- 相手の建築技術を知って、我が国の建築家に伝えて欲しい。
この任務のために出向いた先は、自分の知らない言語(=現地語)オンリーだった。やばい・・・何を言っても伝わらないし、相手の言葉もよくわからないわ。そんな条件下に置かれたら、どう任務達成を図る?
限りなく達成に近づけるために、どうコミュニケーションをとろうとする?」
友人「んーと、まず、第一にやるべきことでパッと思いついたことを羅列してくと、まずは出発前に、自分が持っているものを確認(整理)するかな」
私「持ってるもの? 物?」
友人「物品問わず、自分がどれだけの選択肢をつくれるかなーってイメージ。そのために今の自分が持ってるもの全てを一旦整理する感じかな。ひとつは(伝わらないけど)言語。で、おこづかい、国から与えられた資金ね」
私「銀棒ね」
友人「何それ」
(省略)
友人「もの(物品)、知識、技術・・・こうやって自分がまず何を持っているかを整理していったら、次にすることは、今の自分が持っているとわかったものを相手にわかりやすく伝えるための視覚的なビジュアルをつくるな。
言語が何であっても、言語が使えなくても、、とにかく目的を達成しなきゃいけないからね。
自分の武器・ツールとして、視覚的なビジュアルをつくる。今だったらパワポの説明書とかさ。当時はどうしてたかな。とにかく、お手製の!!
視覚的情報を駆使してコミュニケーションをとる。で、相手に自分が何をしたいかを伝える。そんで、今の私にはこれがありますよと伝える」
私「今自分にはこれがあるっていうことを伝えることに集中しそうだけど、言語が伝わらない相手に。
結局、自分はココへ何をしにきたのかっていうのもわかってもらわなきゃいけないよね。忘れてた。超大事なこと。自分はココへ何をしにきたのか、それを視覚的なツールで伝えようとするのね」
友人「そう。人は、何でもね、目から70%の情報が入るらしいの。で、言葉だけじゃ伝わらない、伝えきれないものがある」
私「・・・(奥深いな)」
友人「だから、視覚情報をたくさん用意するな。
そのあとに!
君たちのもの、知識がほしいということをボディーランゲージで伝える」
私「ボディーランゲージって、どんな??」
友人「たとえば、地面にまるを書いて、お互いの国を描き示す・・・(省略)もうここはほぼ力技だよね。現実でも、実際そうだもん。
言葉が通じないことを仮定すると、経験談だけど、ちょっとしか英語が通じない地方(現地語ばかりの地方)に行った時、なるべく簡単な英単語、this、your、しか使わない。たくさんポーズとったり、指をさしたり。もう力技。
で、力技でいける!
最後はパッションしかないよ!!」
私「パッション」
友人「これも経験から真面目に。伝えたい思いがあるんだ!!っていうのが相手に伝わると、相手も聞いてくれるの。逆にいうと、伝わるまでは、まったく真面目に聞いてもらえないよ。対応も適当にされる。
自分が相手のことを一生懸命聞こうとする姿勢が伝わると、相手も自分のことを一生懸命聞こうとする。スタート時点で、どう相手のアテンションを引きつけるかが、超重要で。
ちなみにこれって、欧米では正直ここまでなくてもいけるのよ。だいたいの配慮で。でもアフリカとか中東となると、まずは懐に入るところからしないと、ぜーんぜん話を聞いてくれないことが多い。で、相手も、一方的に話すだけになる。
コミュニケーション、双方理解の<ベストのコンディション>、その土俵にどうもっていくか。これは、パッションで自分がつくるしかないの。
最初が肝心だよ。あなたに興味がある、あなたをもっと知りたい、オープンです!!
目を見てしっかり伝えて、私はあなたの話を聞いているよ、と伝えることで、ようやく、土俵ができる。(貴重な話が続くが、考察のため省略)スタートラインにもっていくための戦略ね」
考察
簡単ではあるが、ここまでの内容で、インタビュー前に設定していたそれぞれの疑問を考察してみる。
- 未知の文明、未開の地へ踏み入れる時、当時の商人たちはどんな準備をする必要があったか
- 自分たちの文明アピール力と、他の文明に対する見聞力は、実際どれほど必要だったか
一大文明を築き上げるための【紀元前1700年までの商人】たちのはたらきを想像するにあたって、大切なことに気づかされた。「対人」のお仕事なのだ。
現代はすでに法律、ルールがあり、市場があり、レート換算ができる。そこから考えて戦略を練り、交渉を考え・・・となる。しかしながら、紀元前1700年までにおける【商人】の仕事は、前提として「対人」、相手ありきの一大任務だったことを再確認した。
相手が持つ文明の知識、生活の知恵、建築技術・・・あらゆる情報を手に入れる必要がある。
しかし、情報は簡単には教えてもらえなかっただろう。一方通行な、どちからかが手抜きのコミュニケーションでは文明発展のヒントは得られない。
そして当時、土を固めたものに文字や記号を記していた者たちが、一体どのようなツールを駆使して、必要なことを伝え合っていたのだろうか。
言語が通じない共同体を相手にする。「私たちはこのために来た」ということ、何を求めているのか、何を知りたいのか・・・何か文献や形跡が残っていたら面白いのになぁと思った。
- 本当に、紀元前1700年に語学力という力はあったのか・・・「語学力に長けていた者」と考えるのは、当時の文字、伝達技術を前提にすると安易すぎではないか。何か他に、必要な能力を持っていたことは考えられないか。
この疑問に関し、ここまでのインタビューの中で、「語学力ではないな」ということを何となくだが感じた。もちろん現代とは相反する思考だが、何せハンムラビ法典ができたばかり、アッカド語が主力、他の共同体は放牧をしたり農耕をしたり・・・ 想像することしかできない紀元前1700年の世界では、語学力というものではない気がした。
インタビュー内容②
・青字:私(本記事執筆者)
・赤字:友人(外交官)
私「想像で答えてね。もしこの世界にまだ共有できる法律(国際法)がなかったら。あなたは無秩序の世界にいます。予測不可能なことで溢れてる。
国の指令で、さっきの質問の任務を抱えて他国に出向いているあなたはどんな困ることがあると思う?
どう対処する?」
(私はこの時点で、国際法として、取引ルールをイメージしていた)
友人「真っ先に困ること、ファーストプライオリティは自分の命だよね。
安全保障。そこが一番危ない。命あっての外交だと思ってるし、命あっての指令、だよ。そんな世界だったら、個人レベルだと銃を携帯するね。
セキュリティ設置して住まいにも対策を講じる。で、すぐ帰れる準備もしておく。
最終的には自分で身を守るしかないからね」
私「あーそっか(命の重大さを少しばかり放念していた)。それに、自分の国の王様は任務を達成して帰ってきて欲しいとしか考えてなさそうだから、そこは自分で一番しっかり守っておかないといけないね。
じゃあ、そんな法律のない世界のフィールドで、日本人が“未知の地”、まだ誰も足を踏み入れたことのない、情報が無い地へ進み、開拓しにいくとき。任務のひとつとして、我が国にとって未開の地の、いろんな情報を持ち帰ってくれと言われたら、あなたならまずどこから、どう情報収集をしていく?
現地のキーパーソンを見つけるとしたら、どこから向かう?
どんな情報がほしい?」
(新しく発見された大陸ができて、ライバルの国もいるとする)
友人「未知の世界・・・とにかく、人数が多い方がいいよね。この任務の情報収集の目的は?」
私「特に決めてない」
友人「決めて良いなら、好きに考えていいなら、まずは長期的なゴールを考えるよね。たとえば、未開の地との関係をつくる、外交関係をつくる、っていう目標。
そのために、まっさらなところで情報を得るには、包括的な広範囲の情報が必要になる」
私「情報を包括的にって、たとえば?」
友人「えっと、簡単にピックアップすると、
- 政治:政治形態(社会主義なのか)
- 経済:GDPはどれくらいか、生活水準は、貧困層は、インフラは・・・諸々
- 宗教:構成、種類、知らない宗教もあるか
- 文化:習慣
- 地理情報:エリアの規模、形を知りたい、地図が必要
ほんと、未知の土地に対しては、いろーーーんな情報が必要!!
だから、とにかく人(人数)がいたほうがいいよね。で、情報の選定→包括的に、浅く広く。これがどんな情報がほしい?の答えね」
私「ありがとー」
友人「で、どこから情報収集していくか。
まずは、人のサンプルを決めていくね。これは、情報の分野ごとに、各担当で変わるよ。
政治だったらこんな人(政の関与者)、経済だったらプライベートセクターからアプローチ。貧困層やインフラの把握だったら、目に見えてわかる情報を歩いて回る、地方もいく。宗教だったらそこら辺にいる人たちからたくさん話を聞いて、ヒアリングしていく。大切にしている決まり事とかね。コミュニティごとに話を聞いていくよ。
地理だったら、その地ですでに指標や地図がまとまっていれば、それをもらっちゃう。シンクタンク的なところへアプローチ、てな感じで。
分野ごとに、一番、知りたい情報をもっているであろう人へアプローチする戦略でいくね」
私(執筆者)「(こんな変な突然の質問に対して一瞬でロジカル展開。。。)ありがとう!」
考察
- 本当に、紀元前1700年に語学力という力はあったのか・・・「語学力に長けていた者」と考えるのは、当時の文字、伝達技術を前提にすると安易すぎではないか。何か他に、必要な能力を持っていたことは考えられないか。
未開の地へ出向く商人たちは、戦略的になる必要があったということにも気づいた。
どこから、どのように、網羅的に必要な情報をどの程度まで得ていくのか等。非常に重要な戦略である。集団で、各々思考力を駆使しなければならなかったに違いない。
また、【紀元前1700年までの商人】は、生きていく=支配者層に従属しながら地位と生活を守るために、文明発展のための任務を受け、海や大陸を渡っていった。
しかし、それは自分の命と引換えになる時代であったに違いない。身を守る力、危険察知能力は現代より何十倍も備えていたかもしれない。
彼らには語学力ではなく、これらの他の重要な能力や才能が備わっていなければならなかったかもしれない。情報収集戦略と、安全保障のポイントからも、想像することができた。
簡単ではあるが、読書会から想像した 【紀元前1700年前までの商人】たちの軌跡は非常に興味深いものであった。文明の発展、文明のひろがりには、必要不可欠な人の移動。その中心的存在、支配者層に近い立場として動いていた彼らのことをよく考えることができた。
最後に、この場を借りて、インタビューに協力してくれた友人へ感謝の意を伝えます。
(読書会参加者Wさん)