自分の中になかったものを自分の中に取り入れること、あるいは、目を向けてこなかった自分自身に気づくこと。これが学ぶということだと思います。
進学、成績、就職、業務・・・こういった目的のために学ぶことの大切さを否定しません。むしろ、自分の人生を切り開く営みは尊いものだと感じます。しかしながら、同時に「それだけではないだろう」という思いもあり、私たちロジカルノーツはリカレント教育に強い関心をもっています。
自分の人生を見つめ直す学び。今回の記事では、これを実践された方のお話を紹介させていただきます。
執筆者はけようさん。大学を卒業し、大学院修了後に入職。その後、哲学者の鷲田清一氏のもとで学ぶため、働きながら哲学研究科(大学院)へ。社会人大学院生活を送る決断に至った経緯等について語ってもらいました。
初めまして。けようと申します。
私、普段はとある自治体の職員をしていますが、29歳~33歳までの4年間は働きながら大学院の哲学研究科に通い、仕事と学問という二足のわらじを履いておりました。
今回は、この4年間の社会人大学院生活を振り返り、アラサー女子がなぜ哲学なのか、そして何を学び、何に気付いたかということについて書きたいと思います。
その前にまずは、なぜ、社会人になってから大学院に行こう!と思ったのかについて20代前半の頃にさかのぼります。
Let’sタイムスリップ!
研究への原動力
私は、進学する前にも25歳まで別の大学院におりました。これは現役で学部にあがりそのまま同大学院に進んだものです。
当時は、都市計画やまちづくり、住宅政策について、社会科学的なアプローチから政策への提言を考えていく研究室に所属し、熱心に取り組んでいました。
20代前半までの短い人生の中ですが、“自分自身がめっちゃ楽しい!”と感じたのは、大学時代にしていた研究とストリートダンスでした。(ストリートダンスについては、ここでは語らずにおきます。)
特に、21歳くらいまでは、モヤっとする“問題意識”は抱えつつも何やらぼんやりとして生きてきたのかなと思います。
そんな自分の背中を押した印象深い思い出が1つあります。
大学3年生か4年生の時に「都市にある落書き(グラフィティや壁画や落書き)」を調査していまして、ある研究室のゼミの時間に、「なぜこの研究をしたいのか?」という意義を自分の言葉で情熱を込めて、A4一枚にまとめて発表した時、恩師(教授)が痛く感動してくれたことが、めちゃくちゃ嬉しかったのです。
これまでの人生、生きていて、自分が考えた事・真剣に取り組んでいることで、初めて人に認められた!という高揚感がありました。
また、なぜ研究が楽しい(面白い)と思ったのかについては、世の中にまだ提示されていない考えや新たなものの見方を提示できるし、そしてそれが、世の中をよくできるのでは?!という熱い情熱があるからです。面白いなと思いました。
このようなことが私の研究への原動力となっていました。
その時の恩師(教授)はファンキーで、「世の中で一番面白い仕事は、アーティスト!その次は研究者やで」と言っていたんです。
私も割と素直なたちですから、そうやなあと目を輝かせてますます研究が好きになっていきました。
そして、大学院に進み、今後はアート(文化芸術という総称をここでは意味することとする)とまちづくりをテーマに、まち(都市)づくりがアートの向上・振興につながればという思いが芽生えてきました。
なぜ、アート?
それは、いろいろな要素があってとは思います。
- 自分は踊りが好きだし、踊りに幾度も救われた。
- 父が日本文化が好きで美しいものが好きだったので、アートを肯定的に見る環境にあった。
- それに触れることが単純に楽しい。面白い。感動がある。
- 学部生の時、落書きを調べていくうちに描き手のことが気になってきた。そもそも人間は何で描くということをするんだろう。。。
いろいろと自分のこれまでの積み上げの中(安直かもしれませんが・・・)で、アートを支援したいと漠然と思うようになっていきました。
哲学思想との出会い
修士論文を書く前の手がかりとして、恩師に勧められてハンナ・アレント(1906-1975)という思想家の『人間の条件』(ちくま学芸文庫、1994)という本に出会います。
人間の基本的な活動を「労働」「仕事」「活動」と3つに分けて考察していて、なぜ人間が活動をするのかということを、公的な領域とプライベートの領域の変化の歴史や人間の生と死などから語り、人間の本質について迫ります。
特にアレントのいう「仕事」は、自分の存在以外に人工物を作り出す、人間の手による活動で、その一部に芸術作品を作る活動が含まれます。
なぜ人間が芸術作品を手で作るのか・・・、人間には生死があり、死ぬとこの世に存在しなくなるが、芸術作品はずっと生きながらえるから、とアレントは考えます。人間の仕事には、独自の世界を築き上げる「世界性」、そしてずっと存続する「永続性」があると。
このようなことをヨーロッパの女性の思想家が深く考えていたことに、私はしびれました。人間はなぜ活動する動物か、どんな活動をするのか、と人間の本質を追求する・・・こんなにかっこいい仕事が世の中にあったんだと衝撃でした。
これが、私の哲学思想というものとの最初の出会いでした。
そして修士論文ではアーティストの生態(暮らし・創作活動)をテーマにした研究をワクワクしながらしていました。
入職後、哲学を学ぶために大学院進学を決断
その後、自治体職員として、まちづくりやアートを支援できる分野を志望しながら働き出しました。
しかし、希望の部署には配属されないまま数年が経つ中、ずっと、研究することの面白さや何かモノを考え書くことの楽しさを引きずりながら、家で哲学に関する本を読んだりしていました。
そして、鷲田清一氏という、アートや福祉やファッションなど、私たちの身の回りにある出来事について哲学を応用し、論じている哲学者の本に夢中になり、端から端まで読みました。
わかりやすく、平易な言葉で書かれてあり、面白くて面白くて・・・、そして当時アートを支援したいと思っていた私は、アートやファッションを自分の興味があった哲学から論じるということにとても心を惹かれました。
そして、何より、鷲田清一氏は「臨床哲学」の第一人者で、哲学を役に立つ地に足のついたものにしていこうという理念のもと、単なる文献研究ではなく、フィールドにも出て哲学を実践しているということに共感したからです。
30歳になる手前の29歳、哲学をきちんと学んでみたいと思うようになり、自治体の仕事を辞めることも考えながら(理解ある上司のもと辞めずに続けた)大学院に行くことを決めました。
鷲田先生のもとで哲学を学ぶことで自分の視野を広げたい、研究をすることで自分の将来のプランを見直したい、書くことを続ける活動を模索したい・・このような動機でした。
特に、「なぜ人間は創作活動(踊り、美術、音楽、演劇などアート)を行うのか?」を追求したくて、そしてそれを、アートを支援する自分の糧にしていきたいと思いました。
思春期は人生に1度しかないのかもしれませんが、この29歳は思春期でした。(笑)
大学院生活
29歳、キャンパスライフが始まりました。
憧れの先生のもとに、学べる喜びがありました。
特にゼミの時間は本当に贅沢でした。
憧れの先生から生で、哲学とは何かという基礎論、勉強の仕方、ぶっ飛んだ雑談などいろいろな話を聞かせてもらえました。
学べるということは、これほどにまで贅沢なことなんだと、学部生の時以上に身にしみて思いました。そして学費は全部自分の給料から。現役時代と比べ、さらに授業を大切に受講しました。
最初は、仕事と両立なんてできるのかな?と思っていたけど、上司の理解もあって、週1回午後に大学へ行くことが逆に、自分にとってプラスに働きました。
メリハリというものでしょうか。仕事の頭から学問の頭への切り替えで、頭がかなりリフレッシュでき、逆に充実した生活ができていました。
また、私と同じように鷲田先生に学びたい社会人の方が他に2名おられて、ラジオパーソナリティーの方、他の大学講師の方と、私よりも年上のお姉様方です。
色々な職種の方が様々な目的のために、限られた時間とお金を目一杯やりくりして、大学に通われていて、私にとって良い刺激になりました。
大学院には、自治体の中にいるだけでは体験できない世界が私を待っていました。
哲学研究
研究の方は、というと、いろいろと困難もありました。
今まで哲学の研究の仕方を知らなかったので、アプローチの仕方がわからず、もがいた時期もありました。
古典的な哲学研究というのは、文献を読むことを基本としているので、言葉の一言一句を丁寧に丁寧にこれでもかというほど、丁寧に扱います。1行の文章に1時間以上かけて読解したり、1つの単語の意味を原典のフランス語やドイツ語の辞書から調べて、その作者の意図を読み取ります。この作業を適当にやってしまうともう論外で。
大雑把なところがある私には、なかなか困難を伴う作業でした。なんとも精密な作業を哲学者は行うんだと良い意味でカルチャーショックでした。
哲学という精密で丁寧な作業、そして答えの出ないことを延々と議論し考える。時に立ち止まって、むしろ逆戻りすることもあります。
じっくりとじっくりと取り組む作業。
一方で、仕事は、スケジュール通りにこなし、前から来る課題を次々とさばいていく作業。逆戻りなんかしていたら、時間が足りません。ましてや、「この意味は?」と根本的なことを探り出すと時間がものすごくかかる上、変人扱いされてしまうのがオチです。
仕事は前に進む、このベクトルしかないように思えます。
効率良くやることが正しいとされ、何か成果や利益を出すことがいいこと。民間企業であれば尚更、成績や売り上げを伸ばし、株の配当を増やして会社を大きくすることが評価につながります。
しかし、哲学は、後ろにも前にも進むし、思いもしない方向へ行きます。時には、明治時代の社会のあり方、さらに古代ギリシャにだって戻ります。
既成の概念をまず疑うことから始め、あれやこれやと考えが飛躍し、絶対に正しいとか間違っているとか正解を求めることもしません。あらゆることをまず受け入れる度量があります。
これは現実社会での仕事のあり方と全く逆の方向を向いているような気がします。
私はこの二者の大きく違う世界を行き来しながら4年過ごしました。
そこで気づいたことは、次のトピックで。
(けよう)