ロジカルノーツ

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【talks】アート×哲学×物理?!つなぐ対談(1)【けよう&杉本圭助(美術作家)】

社会が大きく変わっていく中、ロジカルノーツは、これからの人たちに求められる力は「自分の言葉でものを伝える力」であると考え、これまでにさまざまな分野の多様な人間の発言を取り上げてきました。

 

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自分の言葉でものを伝えるには、世界に存在する多様な考えに耳を傾け、対話し、それをもとに自分の考えを更新していくことも1つ必要なことではないでしょうか。


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けようです。


ロジカルノーツの考えのもと、異分野を横断する取り組みが面白いのではないかと思いました。各分野が交わり、新しいものの考え方が発見されるような場が面白いのではないかと。


一般的に高等学校から文理を分けた教育が始まりますが、今後の先行きが見通せない世の中にあっては、この文理を横断するような新たな試みも必要ではないかと思うのです。専門分野に特化しすぎた今、分野同士をつなぐ力、異分野にも想像を馳せること、大事ではと思います。


と、いうことで、この実験的な場として、対談を行ってみることにしました!笑


このたびは、現代美術作家杉本圭助さんに対談をお願いしてみました~!(あっさり承諾いただき)

 

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なぜ、アーティストかというと・・・、


作品を作る過程では、いろいろなことテーマになり背景になり、それは情感だったり、環境問題だったり、政治や社会の課題だったり、そして作品を作る過程には、絵の具や素材など化学的な知識も必要でしょうし・・・。作品制作を通して、いろいろな分野をアーティストが横断的につないでいるように見えるから!です。


あとは、私が、人間がなぜ創作活動をするのか?なぜ芸術はずっと人間のそばにあるのか?というようなことを日々不思議に思っているからです。(これは余談かもですが・・)

 

さて、アーティストは一体何を考えているんでしょうか?

 

けよう:杉本さん、こんにちは。私は、哲学を勉強しています。異分野をつなぐ試みとして、様々なことを考えられているアーティストにお話しを聞いてみたく、今日はいろいろとお話しできればと思います。よろしくお願いします。


杉本圭助:こんにちは。杉本です。先日、「人間はなぜ踊るか?」の記事拝見しましたよ。

 

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杉本圭助:特に、「遊び」のことを書いている記事が興味深かったです。そして、僕、「遊びと人間」の著者であるロジェ・カイヨワについては、パリの博物館に行った時、カイヨワ石のコレクションを見たんです。この人、哲学者だし、石のコレクターだし、何者?と、かなり気になっていました。

 

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けよう:記事読んでくださってありがとうございます!カイヨワの石コレをパリで!!レアですね~!いいですね(テンション上)


ちなみに、カイヨワは、文理という分断された学問の領域を超えて、もっと横断的な学問のあり方を提唱していた人物なんですよ。今回のテーマにぴったりの人物ですね。遊びについて考えたり、“石”集めたり、果ては宇宙のことまで考えたり、本当に頭の中が横断的で、次元が広いな~って感心します。


先ほど、「遊び」のことを書いた記事のことに触れていただきましたが、アート遊びに近いんでしょうか?美術に携わられている視点からはどう思われました?


杉本圭助:僕は、アートの特徴「すべてを合理的に説明できないこと」にあると思うんです。そのすべてを合理的にすべて説明できてしまえば、面白くないというか。


“わけのわからないもの”、これがアートの存在意義であって、このことが人間に必要なものなんじゃないかなと考えています。この“わけのわからない”、“説明できない”ことが遊びの部分であるのかなと。


でも自分は、作品を作っている時は、決して遊んでる意識は一切ない。


けよう:おお!早速深いところに。アーティストにとってもアートは「わからない」ものなんですね。アート作品を見て、確かに、わけのわからないことは多いです。笑


なぜこの色にしたのか、なぜこの形にしたのか、なぜこの角度に・・とかって本人だと説明もできないものなんでしょうか?


杉本圭助:そうですね~。僕の場合は、作品のコンセプトや、概要に考えてからスケッチにも落としますが、微妙な角度形の細かなところなんかは、感覚というか、ただ良いと思ったからそうすることがあります。最終的に、自分でもそれにした理由が説明できないこともしばしばあります。


けよう:そういったことが、面白いし、人間の感性をくすぐっていくポイントになるんでしょうか。そして作品を見る側も、よくわからないものと対峙する、そして色々と個々人で感じる、このことがアートの1つの魅力と言いますか。


でも、カイヨワの言う「遊び」は、すべて手中で人間がコントロールできて、いつでもやーめた!と止めれる気軽なものだそうですけど、杉本さんの場合は、そんな感覚で作品を作っているわけではないですもんね。現代人の気晴らしの遊びとは、また全然違いますね。


杉本圭助:遊び・・でいうと、僕は、近所をうろうろ徘徊して気晴らししています。笑


けよう:お散歩ですね。笑


カイヨワの前に、ホイジンガという人物がいて、その人によれば、すべては遊びの精神から文化が形成されてきて、法律や戦争の始めの根底には遊びがあると。カイヨワは、現代の遊びが、資本主義の競争社会の元に、淘汰されて、欲望を満たすためものに成り下がったと言います。


古代では、遊び仕事祭りなどの伝統行事も、仕事と余暇みたいなワークライフバランスみたいな考え方は全くなく熱狂や情感が村の人をつなぎ共同で暮らしていたんだろうと想像しています。


アートは、どういう位置付けだったんでしょうね。時代が変わっても古代からずっとあります。洞窟の壁画とか、祭りでの踊りや音楽


杉本圭助:どこか「わけがわからない」ものだから、人を惹きつけるのかな。すべて説明できてしまえば、そこで終わってしまって、みんなが想像したり議論したりする余地がなくなってしまうのではないでしょうか。


けよう:そのことが、存続の理由かもしれないですね。“答えがない”ということにも近いのかなと思いました。


ちなみに、もうちょっとだけ(笑)!アーティスト的には、カイヨワの遊びの4要素についてはどう思われます?アゴンアレアミミクリイリンクス。と4つの分類がありましたけど。

 

<カイヨワの遊びの4要素>

  1. 競争(アゴン)
  2. 運(アレア)
  3. 模擬(ミミクリ)
  4. 眩暈(イリンクス)


杉本圭助:4種類については、別にどうこうないんですけど(笑)。そもそも、その4種を分類して、定義付けし、皆の目線をそこに向けたのがすごいと思います。白紙のところに、自分で切り込んでいく姿勢が。生み出していく姿勢が。


けよう:なるほど!真っ白な状態を引いて定義して作っていくことですね。もともと何もない場所に、ですもんね。


杉本圭助:話は戻り、カイヨワじゃないですが、文理の枠取り払うって大事ですよね。


美術って文系?って思われがちですけど、僕は、文系理系問わず、自分の興味のある分野は勉強するようにしています。例えば、中国詩も好きですし、オカルト物理学も好きで、人間が生み出したシステム(体系だった考え方)に興味があります。


おそらく、自分は大学時代に建築学科にいたので・・、建築って、理系だけど、文系的な要素も含んでいるし、それが自分の背景にあるから、あまり文理の壁は普段から意識してないんです。単純に興味あることをベースに作品制作しています。


けよう:建築学科だったんですね。中国詩やオカルトに物理学まで!?幅広いですね。文理の壁を一番自由に行き来しているのは、アーティストだという私の仮説もあながち外れてなかったです。笑

 

(けよう・杉本圭助)

 

 

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