ロジカルノーツの読者の皆様、こんにちは。
先日、「卒論再考察」の記事を書かせていただいたWです。
今回、上智大学勤務の、ガラーウィンジ山本香さん(20代でシリア人男性と国際結婚をし、現在は一児の母)とコンタクトをとり、「博士論文の世界」と「研究職の世界」を覗かせていただきました。
ガラーウィンジ山本香さん(以下、香さん)は、上智大学の学生たちに授業をされていますが、自身の研究を進めることが研究者としてのメインのお仕事です。紛争を経験した難民の人たちを対象にフィールド調査をし、紛争に影響を受けた社会と、そこでの人びとの教育について研究をされています。
日本では、難民関係・難民の教育について研究をしている人がまだ少ないのですが、近年はこれに関心を持ち、専攻選択をする大学生や大学院生が、目に見えて増えてきているようで、難民問題はこれからトレンドとなるであろうテーマです。(難民支援というと、現在はコロナで日陰になってしまっていますが・・・。)
また、コロナのインパクトにより、この分野の研究・活動はさらなる発展が求められていると思います。国際協力に熱心な大学生たち、海外でボランティアなどをしにいく学生たちは援助の国際規範【Do no harm】(害を与えてはならない)をもっと身近に考えるべき時となるような気もします。(同志社大学の政策学部の学生がこの規範について考察した記事も見かけました。政策系、国際系の学部では必要な基礎知識のひとつだそうです。)
香さんより2020年2月、中東ヨルダンでの調査中に肌で感じた【Do no harm】についてのコメントもいただきました。オンライン対応だけでは実施できない研究手法の壁。これから海外に出ることも視野に入れている学生たちにとって未来の課題になると思われる内容なので、これについての香さんのコメントも紹介させていただきます。
博士課程からの研究職キャリア
現在は大学院(修士課程)に進学する社会人も増えており、博士号というものは割と耳にする、目の前の存在かもしれませんが、実際、日本の大学院でとりわけ“文系の博士過程”まで、勇気をもって進む人は多くないと思います。(個人の感想です)
私は学部生時代、教授から「(博士課程は)生半可な気持ちで進む世界ではない」といったことを、耳にタコができるほど聞いていました。これは「大学院」という進路に向かおうとする学生たちへの、教授からの真剣な、現実的な助言です。想像以上に苦労することがこの先待っているということを伝えてくれる、有難い先生だと思っています。
実際、学部生としてのゼミでは、同じ空間で院生の先輩たちの姿を見ることができていました。(ゼミの中に学部生と研究生、院生が混ざっています。)現場には多様な学生がいます。30代~50代でキャリアや独特のルーツをもち(協力隊員として数年間現地活動をしていた、企業で働いている中で興味をもった等)、世界中でフィールド調査をし、研究活動を行います。
そして日本人だけではなく、研究のためにいろいろな国からの進学者がいます。(去年はマダガスカルからの院生とも直接お会いする機会があり、そこではまた良い刺激を受けました。)
このような条件・環境の中で、各自研究を進めますが、根気強さと何か研究に対するセンスが必要な世界のように見て思えました。
そういうこともあり、私自身は、興味関心の強い分野はあったものの、一旦、社会に飛び出し、社会の中で課題を見つける必要があると感じ、就職しました。
日本でこれから大学に進学しようとする高校生や社会人の方や大学院に興味のある方に向けて、修士号のその先「博士号から研究職にいたるまで」のお話を紹介することで、進路選択、分野選択のきっかけの一つとなる話題を提供できればと思います。
ですので、この記事とは別に、文系の博士課程に進むということ・研究職というものについて、そしてとりわけ、女性の研究職へのキャリア形成についても触れながらお話いただいたことも、書こうと思います。
さて、進路話から今回のテーマ:博士課程論文の話題に戻します。博士号の世界で、香さんは一体どんな博士論文を仕上げ、卒業されたのか。
以下、香さんの言葉で記述します。
シリア難民の学校運営 ーシリア難民の子どもたちをめぐるフィールド調査ー
はじめまして。ガラーウィンジ山本香です。
博士学位論文
『シリア難民がつくる学校教育の役割―避難国トルコにおける連帯と分断―』
この博士論文は、シリア難民が運営する学校がコミュニティを形作っているという修士論文※の前提の上で展開しています。
シリア難民のコミュニティが実際にどうやって形作られてきたのかを経年的に明らかにし、そのコミュニティの内部の人たち(学校の経営者、教師、生徒、その保護者などなど)がコミュニティの維持のため、それぞれどういう働きをしているか。また、彼らが学校を通して強く連帯している一方で、そのコミュニティからあぶれてしまった人たちや、コミュニティを維持するために分断されていってしまった人たちもいる、というネガティブな面も検証しました。
※修士論文の概要
シリア難民による学校運営と、そこでの教師の役割を、トルコでのフィールド調査から考察。シリア国境にあるトルコ南東部の街で、シリア難民が運営してるシリア難民の学校でのフィールドワークの結果から、シリア難民のコミュニティにとって学校や先生という存在がどういう役割を果たしてるかを書きました。
私は基本的にシリア難民、ケニアの難民キャンプ、紛争後の南スーダンなど、紛争に影響を受けた人・社会の教育について研究しています。
ケニアのスラムの住民による学校運営についても論文などを書いたこともありますが、軸としては、
困難な状況にある人たちは、被支援者という脆弱な立場におかれがちだけど、だからといって支援を与えられるだけの立場に甘えているわけではなくて、むしろ誰よりも子どもの教育のためとか自分たちのコミュニティのために必死に動いてるのは彼らのほうであって、その働きは看過されたり無碍にされるべきではない
というのが私の研究の根底にあるテーマです。
そのうえで、博士学位論文の内容を一部、皆さんにお伝えできる形でご紹介します。
この度、博士論文の内容を、本として出版する準備をしています。その出版の都合上、論文の内容をそのままお伝えすることができません。ですが、“世界をフィールドにできる大学の知”の可能性について、少しでも多くの方に知っていただければと思います。
まず、論文内容に入る前にお伝えしたい知識をご紹介し、その後、
- 日本でいう中学生・高校生と同じ年齢の生徒たちからの聞き取り内容
- 経営側である難民教師からの聞き取り内容
- シリア難民の運営する学校を卒業し、今回の調査で私の通訳として入ってくれた20歳の青年のお話
をお伝えします。
ここで共有させていただく内容は、この記事の読者層のひとつである高校生、大学生の皆さんと現在同じ年齢、同じ時代を生きている大切な10代を生きる生徒たちの言葉です。彼らは大人の不都合な事情のために紛争を経験することとなってしまい、その影響をもろに受けてしまう環境で生きています。
全く異なる社会条件・環境の日本(諸問題はあるにしろ、近隣の街で紛争を経験する必要はない社会)に生きる私たちも、イメージして考えやすい年代のシリア難民の生徒たちの言葉を選びました。
難民ってどんな人たち?
難民=迫害、紛争、災害、人権侵害を理由として、強制的に国外に移住した人びと。
有名な歴史上の人物も、実は難民出身だったりします。
- ショパン:名だたるピアノ楽曲を今世に残した音楽家。難民の概念がない時代に生きた方ですが、実質上の難民化を経験していました。
- アインシュタイン:相対性理論で有名な物理学者。ユダヤ人で、ナチス・ドイツからアメリカに亡命しました。難民は社会に負担をかけるだけの存在ではない、アインシュタインのような人材が自国にほしければ、難民を受け入れては?という論がでたほどで、世界で一番有名な難民といっても過言ではありません。
他にも、フレディ・マーキュリーや、ジャッキー・チェンも難民やそれに関係する背景をもつ方々です。
難民の出身国ランキング(UNHCR資料より)
2018年時点で、実はシリア出身の難民が最も多く33%を占めています。続いてアフガニスタン、南スーダン、ミャンマー、ソマリア、その他と続きます。
そして、難民を受け入るホスト国は2018年時点で、トルコが第1位で18%を占めています。ちなみに受入ホスト国のトップ10のうち、先進国はドイツだけです(5位)。難民の84%は途上国で生活しています。
私の博士論文は、このトルコ国内のシリア難民を調査対象にしています。
難民にとっての学校教育の役割
難民人口(2,590万人)の半分が18歳以下の子どもたちです。実際、難民の人たちの教育熱はとても高いです。
教育には、子どもたちに知識や資格を提供する以外にも、様々な役割が期待されています。
就学中
- 子どもを守る場所
- 「日常性」回復のための装置
就学後
- 避難国への社会統合
- 本国の社会文化的背景の維持
- 平和、復興、開発推進の手段
シリアの人々と難民生活
シリアってどんな国?
メソポタミア文明発祥の地にあり、農業、繊維業と並び観光業が盛んな国です。
公用語はアラビア語、人口は約1,800万人で、東京と大阪の人口を足したくらいです。
この人口のうち、70%(3/4)にあたる1,300万人が、紛争の中でもともと住んでいた場所を追われ、国内外の避難先で暮らしています。
シリアの人々
- 人懐っこい
- 親切
- 誇り高い
(私の勝手なイメージです。)
シリア難民ってどんな人?
- 2011年の紛争勃発以降、国外に逃れた人々
- 世界最大の難民人口:670万人
- 都市難民=キャンプ外に住む難民が94%
シリア難民の最大の受入国はトルコです。シリアとヨーロッパの間に位置していて、シリアへの帰還を望む人、トルコでの定住を望む人、ヨーロッパへの第三国定住を望む人、さまざまな展望を持つシリア難民がトルコ各地に住んでいます。
トルコは、宗教や生活習慣などシリアと近い部分もありますが、大きな違いとして言語の違いがあります。
- トルコ:トルコ語
- シリア:アラビア語
トルコでの生活
- 64%のシリア難民が貧困ライン以下で生活しています。
- 18%のシリア難民が極限の貧困ライン以下で生活しています。
- 96%のシリア難民が小学校に進学しています(統計上)。
※ Regional Refugee and Resilience Plan Turkey 資料より
シリアの人びとが避難した理由は、出身地域、避難した時期、人によってさまざまです。
- 政府による弾圧
- 政府軍vs諸グループの軍事行動による直接・間接被害
- 政府軍以外の武装集団による被害
- 武装組織「イスラム国」による侵攻 他
さくっとこんな感じです。 イメージしづらいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。。
論文内での「難民」概念の定義
「難民」という言葉には、様々な定義があります。
難民条約による国際的な定義はありますが、これに当てはまらないが実質上はどう考えても難民でしょう、という人たちもいます。
そこで、私の論文では、正式に「難民」とは認められていない人も含め、
国籍のある国から紛争や災害などを理由として避難した人たち
というように定義しています。
シリア人難民が運営する学校に通う、子どもたちからの聞き取り調査
いくつかの学校を調査対象にし、聞き取り調査とアンケート調査を行いました。
その中で印象的だったある17歳の女子生徒は、学校に通う理由について以下のように答えました。
ーーー
紛争前まではみんな仲良く暮らしていたのに
紛争が、シリアの人たちをバラバラにしてしまいました。
でも、この学校には、いろんなシリア人がいて、
みんな一緒に学校に通っていて、
みんなひとつだと感じています。
ーーー
紛争によってこれまで一緒に生まれ育ってきたコミュニティの人たちがバラバラになったことに対して、彼女自身、シリアで紛争を経験した当時はまだ10代前半で、とてもつらい記憶として残っていました。でも学校での人間関係から、失ったものを少しずつ取り戻せているのかなと感じる回答でした。
トルコという言語も違う国に避難する子どもたちは避難先で孤独を抱えることが多く、「シリア人だから」「難民だから」と差別を受けることもあり、シリア人同士で繋がりを持つことはとても重要な意味をもちます。
聞き取り調査の結果から、学校という共同体は、10代の生徒にとって、紛争の経験や難民としての立場を共有し、同じ痛みを持つ友達や先生に会える場所として心が安らぐ場所であることが見えてきました。
学校を経営する難民教師の言葉
学校経営という決して簡単ではない仕事を、なぜ続けるのか?と学校経営者に聞くと、
「(学校経営は)本当につらい。やめてしまいたいと思うこともある」
と話した上で、それでも学校経営を続ける理由として
「教育を受けない世代を生み出してしまうことは、
シリア人にとって、いつ爆発するかわからない時限爆弾を抱えるようなものだ」
という答えが返ってきました。
つまり、彼らは、自分たちにとって大事な大事な子どもたちを、国家再建の希望にするか、全てを破壊する時限爆弾にするか、それは今の自分たちにかかっていると考え、教育が停滞してしまうことに対する焦燥感と危機感からなんとかして教育活動を維持していこうとしているのです。
20歳の通訳の少年
私の博士論文の現地調査では、通訳として20歳のAさんがついてくれました。
シリア難民の聞き取りはアラビア語。アラビア語ー英語の通訳をしてもらいました。Aさんは、YouTubeなどで英語の映画や音楽を見たり聞いたりして、独学で流暢な英語能力を身に付けていました。
この分野の研究をする以上は、アラビア語はある程度話せるよう学習しました。大学時代はアラビア語専攻、アラビア語の授業を継続して受けていました。シリア人男性との国際結婚で、相手のご家族とはアラビア語を使うこともあります。
ですが、私のインタビューでは相手の深い語りを聞いて理解した上で、次の質問を投げかける必要があります。私の拙いアラビア語では追いつかない部分が多いので、通訳をお願いしました。
Aさんは調査対象の学校の卒業生だったので、通訳として学校に戻ってきた彼をみて、先生たちは嬉しそうでしたし、彼自身誇らしそうにしていました。
彼は非常に頭の良い青年で、後期中等学校(日本でいう高校)を卒業する際、中等学校卒業試験(日本でいうセンター試験のようなもの)で総合点90%以上を獲得していました。
しかし、トルコのシリア難民学校をめぐって教育制度がゴタゴタしてる時代に12年生(日本でいう高校3年生)だった彼は、受験勉強を必死に頑張って高い成績を修めたにも関わらず、政治的な事情で教育制度が変わったために、「この試験結果は意味がないから、別の試験を受けるように」と言われました。仕方がないので、再度勉強をし直して、1年後に2回目の受験もしました。
(高校生・大学生の皆さん、保護者の皆さん、国の勝手な事情でセンター試験、大学入試の努力を2度もしなければならなくなったら... しかも1度目の試験で2度と取れるか分からない良い成績を取っていたのに... と想像するだけで苦しくなりませんか?)
その2回目の受験の結果がようやく出た頃、今度は、Aさんのお父さんがしていたドイツへの難民申請がそのタイミングで受理され、家族ごと難民としてドイツへ移住することになりました。ドイツへ行けることは、彼自身が望んでいたことでもあり、それ自体は彼も喜んでいました。でも、2度も、異国トルコで大学受験をして、必死で努力して良い成績をとったことは、もう何の意味もなさなくなってしまったのです。
Aさんは、苦笑しながら、「馬鹿げた国で賢く生まれても、何の意味もないな」と吐き捨てるように言いました。
私にとっては、かなり衝撃的な出来事でしたが、Aさんの状況説明を聞いた彼の母校の先生は、驚いた様子もなく、「これが私たちの日常だよ」と疲れた表情で言いました。「それでも、彼はドイツに行けるんだから、良いじゃないか」と。
努力が報われるとは限らない、というのは、日本でもよくあることだと思います。
でも、子どもの人生をかけた努力を個人ではどうしようもない国の政治的な事情で踏みにじられてしまうことが、「日常」として諦められてしまう。
そういうことが繰り返されると、教育を受けて自分の人生を変えよう、社会を変えていこうと、人びとが希望を持ち続けることさえ難しくなってきます。
Aさんのケースは、「難民」として生きることの危うさの一側面を痛感したエピソードの一つでした。
考察:学校の存在と役割、教育の意義
学校に求めるものとして
- 教科内容をしっかり学ぶ
- 卒業資格を得て、次のステップに向かう
という大きな目的はありますが、
難民の子どもたちにとって、「学校」に求めるものはそれだけではありません。
親以外の大人からの見守りも、子どもにとって大きな意味を持ちます。
自分のことを守ってくれる人、経験や境遇を共有できる存在が学校にある、と子どもたちが感じていることも、調査からわかりました。このために、学校は子どもたちの大切な場所になっています。
特にその傾向は、年齢が下がるほど顕著に見られ、12年生(日本でいう高3)よりも9年生(中3)、9年生よりも6年生(小6) に、人とのつながりを学校に求めている子が多く見られました。
シリア難民による学校運営については、報告書があまりありません。シリア難民が自主的にやっていることの記録が非常に少なく、難民の声は世界に届きづらいのが現状です。でも、そういう難民自身による営みによって救われている子どもたちが存在しているということを、少しでもお伝えできればと思いました。
Aさんのケースでは、必死で勉強を頑張っても、やってもやっても、報われない環境にいる10代を過ごす若者の事例を見ました。
紛争を経験するだけでも、本来なら子どもが見るべきではない・聞くべきではない・経験するべきではないことばかり起こります。あまりにも危険な状況から身を守るために難民として逃れた子どもが、避難先で、また2次、3次的な影響をさらに経験しているのです。
一年、一年、がとても繊細で、大切な10代なのに、それを無駄にされてしまうような現状は、決して見過ごしてはいけないものだと思います。
教育とは何かを考える時、教育=【mobile light】と表現する研究者※がいます。
※Sarah Dryden-Peterson(https://www.gse.harvard.edu/faculty/sarah-dryden-peterson)
“mobile light”という言葉を使っている論文:Refugee education: Education for an unknowable future
mobile light とは、どこにでも持っていける、持ち歩ける、灯。
一度「難民」になってしまうと、その後、どんな将来が子どもを待ち受けているのか、誰にも分かりません。
真っ暗闇のなかを、身ひとつで、手探りで、進んでいくしかありません。Aさんのように、試行錯誤を繰り返しながら、よりよい未来が見えそうな方へ、移動していくしかありません。その移動は計画的な場合もありますが、紛争や政治状況の影響による移動であれば、常に物理的な財産をすべてもって移動できるわけではありません。
しかし、教育を受けたことで身についた知識やスキルは、どこへ移動しようと、自分の中にあり続けます。
外部からの暴力によって奪うこともできません。
そしてこの灯は、彼らが自分たちの人生で進むべき道を、見えるようにしてくれるものです。
私は、調査の中でたくさんの子どもやその家族と出会い、教育は暗闇の中で一筋の希望となるものだと改めて感じました。
そして、教育が難民となった人たちの「希望」であり続けてほしいと思っています。
教育は日本人にとっては、嫌でもなぁなぁでも受けることができるけれど、難民となった人たちは、教育に人生をかけています。
普通の生活をしていたのに、紛争によって突然すべてを失った人たちがいる。でも、教育によって、将来へのはしごをかけることができるということを、フィールドでは肌で感じています。
おわりに
ーDo no harmー
オンラインだけでは不可能な研究の手法と
海外へ飛び出す学生たちの未来の課題
私の研究は、フィールドで難民の人たちと交わり、対話をしながら進めていく研究です。
今年2月は、調査のためヨルダンに滞在しました。この期間はまだ中国に対しての騒ぎがメインで、ヨルダンに感染者は一人もいない状態でした。
しかし、コロナウイルスのことはヨルダンでも話題になっており、私の「アジア人」的な外見から、街を歩いていると現地の人たちから「コロナ!!」と言われたり、バスで一緒になった人に衣装で口を隠されたりしました。
その当時、コロナ禍の中心はアジアにあったので、私がそこにいることで、相手を不安にするという状況に陥ってしまったのです。仕事といえど、ここにきてよかったんだろうかという迷いが強くあった中での調査でした。
シリア難民の人たちは、社会保障なしで生活しているため、医療費を全額自分で出さなくてはなりません。
ただでさえ家計が逼迫していて、持病を抱える人も多いコミュニティに、ウイルスキャリアかもしれない外部者が入っていくのです。
世界中、自分が感染源かもしれないなかで、研究の調査対象者と直接会っていくということはとても難しい状況に変化しました。
オンライン通話でももちろん聞けることはあるし、アンケートならオンラインでも回答が多数得られます。リモートでの調査も考慮に入れていかなければいけません。
でも、フィールドワークは、時間・手間・費用含めたくさんのコストがかかりますが、フィールド(現地)でワーク(work)しなければ分からない部分があるからこそ、これまで多くの研究者が行なってきたのです。
まず到着したら現地をウロウロしながら、住んでる場所がどんな地域なのか、住んでいる家はどんなものか、服装、環境、調査者と大人が話している時の子どもの過ごし方や、大人たちの子どもとの関わり方などなど、目で見て、肌で感じ、至る所にあるヒントを出来るだけ広角なレンズでひろっていきます。
これらをふまえて、聞き取りの内容を分析し、調整していく側面があり、それにはフィールドで得られる感覚が必要になってきます。
ただ、会いにいくといっても、例えば会う直前に抗体検査をして陰性と分かっているとしても、相手に不安を与えるという意味では、Do no harm というフィールドワーカーの原則に反することになります。
私の調査では、紛争経験を持つ人々を対象にしているだけに、もともとこの原則に抵触してしまう可能性は低くありません。例えばインタビュー中、私がつい紛争につながる話題に触れてしまったり、父親を亡くした子に父親の話題を振ってしまったり、故意ではないにしても相手に紛争など過去のつらい記憶をフラッシュバックさせてしまったら、私は立派な 加害者 です。
ここに、今回COVID-19(コロナ)が絡んで、私が加害者になる可能性はさらに高くなりました。二重となった壁をどう乗り越えるかは、研究に携わる者たちだけでなく、これから海外のフィールドに出て学んでいく学生たちの大きな課題となると思います。
コロナ禍が国際的な注目を集め、紛争や難民を扱う報道は一時期と比べるとかなり減りました。ですが、このコロナ禍の影響を最も強く受けるのも、脆弱な社会的立場に置かれている難民など、もともと困難な状況にある人たちです。
人類すべてが大変な困難に直面している今だからこそ、そういう人たちのことを忘れずに、心に留めていなければと思います。
(ガラーウィンジ山本香)