大学入試改革の意味は?
ほとんどの人にとって、受験勉強を通じて身につけた知識そのものは、いつか出会う誰かを喜ばせる直接的な要因になりません。
では、受験勉強はそれを終えた後には意味がなく、学歴のために「仕方なくやるもの」なのでしょうか。もしそうであれば、人生における空白期間のようなものにも思えてしまいます。
しかしながら、人が熱心に取り組むことには何かしら意味があり、その内容や過程が将来の人生に意味を与えるはずです。
受験勉強期間中、それまでの学校生活で学んできたものをまとめ、整理し、理解に努めることになります。基本的には、学校生活で学んできたもの、つまり、「この年齢の人はこういうものを学ぶべきだ」という教育政策上重視されているものの習熟度が受験突破の鍵になります。
「教育政策上重視されているもの」というのは「その時点における社会が重視しているもの」でもあります。したがって、受験勉強を通じて「その時点における社会が重視しているもの」を獲得するはずです。しかしながら、知識偏重型の入試システムであれば、「将来の私の人生において役に立たないものを必死になって覚えているだけじゃないか」といった虚しさを覚えるのも仕方ないことでしょう。
いま受験生を取り巻く状況は大きく変わっています。受験において要求されるスキルそのものが変わってきていますし、なによりも2020大学入試改革は「これからの時代においてどのような人材を育成すべきなのか」というメッセージが含まれているように感じられます。
記述式問題の導入
今回の改革の大きな特徴の1つは、共通入試における記述式問題の導入(「国語」と「数学」)です。
50万人を超える受験者数の試験に記述式問題を導入することについては、「採点作業にかかる労力や公正性の担保といった面を考えると非現実的だ」という声も大きいですし、予備校講師という立場で入試に向き合い続けてきた私たちも「ある程度のトラブルが生じるかもしれない」と危惧しています。しかしながら、ネガティブな視点から離れて今回の改革を見てみると、反対意見が出るのも承知した上での強いメッセージが含まれているように思えます。
「表現力を重視して記述式問題を導入した」という面ももちろんあるでしょうが、私たちは「『国語』と『数学』で記述式問題を導入した」ということに特に注目しています。文系/理系の区別を重く捉えていると見えにくいのですが、実は「国語」と「数学」は「論理を扱う」というところに共通点があります。実際、国語講師と数学講師から同じ指摘を受ける予備校生は少なくありません。「論理」というものは情報と情報のつながりに現れますので、その力を試すためには記述式問題が適しています。今回の改革は「自身の思考を『論理的に』示す力」を評価するところに主眼があるのではないでしょうか。
英語の4技能評価
以上を前提に、今回の改革の大きな柱である「『英語』における4技能評価」についても考えてみたいと思います。
以前のセンター試験の英語は「読む力」を試してきました。その後、リスニング問題を導入して「聞く力」も評価し始めました。今回の改革では、外部試験を活用して4技能を評価することになり、「書く力」と「話す力」も評価対象に入ることとなりました。
英語情報の受信に関わる「読む力」と「聞く力」。これらに加えて、英語情報の発信に関わる「書く力」と「話す力」も試されることには非常に大きな意味が含まれていると考えたいところです。情報の受信と発信とでは必要なスキルに大きな違いがあるからです。情報を発信するということは相手の理解を目指すということであり、そのためには、相手が言葉をどのように捉えているのかを考えなければなりません。
当たり前のことですが、「日本語よりも英語で伝えた方がよい」場合に「英語で書く/話す」必要が生じます。そのため、想定される相手は日本語圏にいない人です。相手がどのように言葉を捉えるのかについての見通しが立ちにくい状況が前提にあります。暗黙の了解等の「言語化されない情報」を共有していない状況ですので、発信情報の論理性が特に問われるということです。
論理的表現のあり方を考えたい
論理的に表現する力を向上させること。これがいまの時代の受験生に求められていることだと私たちは考えています。本プロジェクトでは、日本語と英語の2つの言語を用いて論理的表現のあり方を考察してまいります。
(吉崎崇史・鈴木順一)