(怠惰な性格、および、)コロナの影響もあり、更新頻度が随分と落ち込んできました・・・これはマズいと思っていた中、イタリアから寄稿が届きました。「とあるキリスト教教会関係者」さん、いつもありがとうございます!
多くのイタリア人が夏にバカンスに出かけます。暑いから涼しいところに行くようで、山に行ったり海に行ったりします。夏のローマは暑くていられないと聞きますので、避難するのでしょう。
私も、イタリア人に倣って数日海に行ってきました(私にとって4泊は長かったのですが、イタリア人的には短いようです笑)。
日本と違って、海水浴場が閉鎖されることはありません。おそらく、イタリア人にとって大切なのは「海にいくこと」であり、そのためにはどのようにしたら良いかを「一応」考えるのだと思います。電車に乗るとき、ホームで「ソーシャルディスタンスを守りましょう」と、「一応」アナウンスが流れます。車内は基本的にマスクの着用はしますが、まぁそれぐらいでしょう。
もちろん感染者数・死者数ともゼロにはなっていません(7/31の死者は9人、記事のi decessiが死者数)。ロックダウン中と比べたら著しく減ったぐらいです。
さて、ビーチに数日滞在していると、「顔なじみ」の人が増えてきます。「やぁ、今日もいるの?いつまでいるの?」と話しかけたところから、会話が始まりました。スイス人男性とイタリア人女性のカップルです。男性は仕事で日本や韓国に行ったことがあるようで、私が日本人だとわかると、日本の話で大いに盛り上がります。私以上に日本のゲームやアニメに詳しかったので驚きました。
しばらくして、海に入っていると、50代ぐらいの夫婦と目が合いました。奥さんが聞いてきました。「あなた日本人でしょ」。最初私は驚きました。「なんで知ってるの?」と。
どうやら、先ほど私たちが話していたところの横にいたようで、話をずっと聞いていたようです。その夫婦も日本に行ってみたいと思っていたようで、私は「運良く表れた」という感じでしょうか。奥さんは、「日本の文化や禅、庭が好きなの・・・」と話始めました。
この2組との会話の際、辞書は使えませんでした(2組目は海の中ですから)。もちろん、文法の間違いはあるでしょうし、言葉の使い方も間違っています。でも、テーマは「日本」で、彼らは「親日」なので、こちらからの情報を引き出そうとしてくれます。
たった2組との会話から感じたことを書いてみます。
意外と?日本の評価が高い
車・時計・寿司・ゲーム・自然・温泉・文化が今回出てきたネタでしたが、日本にいたときはそこまで意識していませんでした。そしてこれらのコンテンツは他のイタリア人と話をしていても出てきたことを思い出しました。
じゃあ私たちは、どれだけこのことを紹介できるか、しかもイタリア語でと思ったとき、まだまだ勉強しなければいけないと思いました。それは、イタリア語でどう表現するかの前に、私は日本語でこれらのことを説明できるかということです。
前にもどこかで書きましたが、「話す内容」がなければ、いくら語学を勉強しても意味がないかもしれません。
人間は自分の尺度でしか評価できない
今回はビーチで4人と話しました。4人とも「イタリア語が上手ね」と言ってくれました。もちろんこれは、とにかく「ブラボー」と言ってくれるイタリア人の気質も関係していると思います。
でも、(これも今回だけではなく別の機会にあったことも思い出したのですが)私は、いわゆる日本人の謙遜をこめて「いやいや、まだまだです」と否定するのではなく、本当にまだまだだと思っています。
- 彼らの視点・・・自分が同じ期間(現地で1年弱勉強する)して、日本語をこれだけ話せないのに、この日本人は一応イタリア語を話している。だから「ブラボー」と思う。
- 私の視点・・・私にとって「ブラボー」は現地の人と普通に会話ができるレベルを指すので、「いやいや、まだまだです」と答える。
この「自分の尺度でしか評価できない」というのは決して悪い意味で言っているのではありません。「人間ってそういうもんだよね」ってどこかで思っていないと(気づいていないと)、誤解や行き違いが生じることが多々あるように思います。
文化の違いとして、ヨーロッパの人たちは、誰かを家に招待してもてなして泊めてあげることに対して、日本人より敷居が低い気がします(私の考えが一般的ではないかもしれませんが、日本においてホームステイの受け入れで、受け入れ先の家族を探すのが大変だと言う話を聞いたことがあります)。
家の大きさ(部屋数)の違いもあるでしょうが、彼らはスイスやイタリアの自分の家に来るように誘ってくれました。おそらく同じように、私に日本での宿を求めているのかもしれません(どこに泊まってもらおうか考えないと・・・)。
最終日の夜、海辺を歩いていたら、夏の海ということで、TUBEの「夏を抱きしめて」が頭の中で流れ始め、YouTubeを聞いて歌いながら歩いたとき、「あっ、イタリアにいるけど、自分は日本人だ」と実感したことは内緒(笑)。
この数日、ビーチでゆっくり過ごすことができて幸せでしたが、それ以上に現地で友達を見つけられたことも、大きな喜びでした。
(とあるキリスト教教会関係者)