先日3月15日、ロジカルノーツではSkypeを使用した読書会を行いました。その際、参加者の方から「リトアニアの大学で日本語教師として勤務している友人がおり、近々、Zoomを使用したオンライン授業に参加する」との話が。
その模様を報告してもらいましたので、紹介させていただきます。
先日私は、リトアニアの大学で日本語教師として勤務している友人が開催するオンライン授業に参加する機会がありました。
- <テーマ①>リトアニアについて紹介する:リトアニアの大学生が次の3つのトピックのグループに分かれ、用意していたプレゼンテーションをする
- 料理・食事
- 物語
- 働き方
- <テーマ②>日本について知る:各トピックについて日本人に質問をし、交流する
日本人の学生グループが訪問予定でしたが、コロナのため、キャンセルとなり、また、リトアニアではコロナが問題になってからは早期に大学が閉鎖され、教師も学生も自宅で学習している状況。そのため、今回、Zoomを利用したオンライン授業に、一般の私たちが参加した流れです。
今回、この授業に参加して感じたことと、気づいたことを簡単に共有できたらと思います。
リトアニアについて
ちょっと待って、リトアニアってどこ・・・
と思う方は少なくないと思います。
Googleで位置確認を。バルト三国ーバルト海に面した綺麗な街並みをご覧ください。笑
ユダヤ人迫害の時代、ユダヤ人に【命のビザ】を書き続けた日本人外交官、杉原千畝の歴史がリトアニアにあります。
当時の杉原千畝がビザを書き続けていた領事館がそのまま保存されていて、私もリトアニアへ訪れた際には領事館へ行ったのですが、日本人としてハッキリと自覚していなかった歴史の1つを肌で感じ、リトアニアという国が近く感じられたことを覚えています。
海外での日本語学習のきっかけとしては、アニメ文化の影響だけでなく、他にも様々なきっかけがあると思いますが、リトアニアでは、その1つにきっと、歴史の影響で日本について知る機会があるのだろうと感じています。
リトアニアの大学での日本語学習者は、当時、大学生だった私が訪れた年も結構いました。そしてみんな、とても流暢に自分のコミュニケーションツールの1つとして日本語を使い、英語も交えながら自由に交流していました。言語1つでとても親近感が沸き、嬉しさや楽しさが溢れていた時間も思い出します。
今回オンライン授業を開催した友人は、このリトアニアでの教師生活が、2020年9月で満5年を迎えます。大学卒業の年から現在までずっと日本語教師として働いていて、以前は南米エクアドルにいました。
リトアニアのコロナ対策
オンライン授業の当日時点で、友人曰く、リトアニアは公式的には検疫強化機関中(開始3月13日~4月12日終了予定)とのこと。
食品店、薬局、生活に困るお店以外は、閉店。レストランはテイクアウトオンリー、カフェも実質テイクアウトをしようと思えばできるようなところだけど、ほぼ閉店。
・・・これっていわゆるロックダウン?と思ってしまうような徹底した状況ですが、ロックダウンではなく、検疫強化期間中というものらしく。
3月30日月曜からは外出時マスク必須(リトアニアは薬局で購入できる様子)とのこと。外出するといっても、元々人が少ない街なので、混むとしてもバスくらいだそうです。
ただヨーロッパ他国から人は入ってくるので、危機意識が強いとのことでした。日本とは全く違う国全体の判断の徹底、意識の高さを感じられました。
陸続きのヨーロッパであろうと、島国の日本であろうと、今は国で差があってはいけないんだけどなぁ・・・とふと感じつつ。。
Zoom授業の感想
私個人にはアップデートされていなかった、海外の大学生たちの感覚、現状を肌で感じることができ、とても良い、新鮮なアップデート機会でした。
そしてコロナ発症よりもずっと前から、遠隔での教育の実践をするICTを積極的に活用した海外の教育現場での動きを知り、オンライン授業についての気づき、学びが多くありました。
学生からの質問に対し、情報を共有するとき、考えなければならないことが多くありました。友人が話してくれたことを紹介したいと思います。
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「これまでは日本語教師として、外国人に教えている、外国語として日本語を教えている、という意識がすごくあったけど、よくよく考えたら、自分は日本語を一番長く使ってるだけで、知らないことは多くある。自分も日本語を学んでいる立場だなと感じた。」
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まさにその通りで、学生たちから日本の食文化など、各テーマについての質問を受けたとき、その会話の瞬間に、自分の中にある必要な記憶を引き出して、整理して、最新の変動も含めて、なるべく偏りのない話題から、面白い特異なトピックも混ぜたい・・・その説明には、どんな日本語が適切なのか、日本語のボキャブラリーは・・・というグローバルに交流する際の日本語に対する自分の課題を感じました。
相手が大学生ということもあり、リトアニアの食の流行なども教えてくれて、日本での食の流行も気になったようです。
私は日本に大旋風を巻き起こしたバブルティーについてと少し自制を求められている鰻好きな日本人について話しました。
リトアニアでもバブルティー旋風が起きていたようで、「あいつらは一体いつのまに・・・世界中で同時期にブームになっていたんだ」という会話でたくさん笑って盛り上がりました。
伝統的な日本の食習慣紹介ではなく(こういうのはもうネットで調べたら出てくる)フランクな感じの、現代の一般家庭の食習慣や、街中での流行ものなどを話しました。
この時どんな日本語が適切なのか、相手にわかりやすく説明する手順は・・・などを考え、日本語のボキャブラリーが私自身に少なかったことも自覚しました。
なんなら、リトアニアの大学生のほうが細かな味や匂いの表現を日本語でしてくれていました。
日本語という言語について、未熟なことや知らないことが多くあることを気づかされ、私自身は、単純に日本語を使う時間が長いだけなんだなと学びました。
オンライン授業を進めるにあたって自覚すべきこと
「教育ツールで試してみる価値のあるものは多くあり、世界では日々前進し続けている。コロナの影響で、オンライン授業に切り替わって、教育現場としてはどう?」と友人に質問すると、次の回答が。
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「コロナの影響の前から ICT教育ツールをもっと現場に取り入れていく考え方はずっとあったのと、私がリトアニアで大学院生時代ー教育学部だった頃から先生も生徒も、みんな近場の同じ街に住んでるのに あえてオンライン授業っていうのはしょっちゅうやってた。
(中略)
教室で実際に授業することを否定しているわけではなくて、こういうこともできるよ、という感じで。
(中略)
いま、学習の方法を変えざるを得ない状況として捉えるか、あるいは新しいことを試せるチャンスと捉えるか、かなぁ。
オンラインの授業は個人的にわりと好き。こんなんあるんやー!とガチャガチャ試して、今はここぞとばかりに色々試してる。」
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積極的な取組に対し、何かできない理由を挙げがちな傾向はどこにでもありますが、友人のこの感覚はとても大好きで。なにより、自分のイメージが時代遅れなことにも気がつきました。
全員に平等な環境が整ってこそのオンライン授業
「難しいなって感じるところは?」と次の質問。
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今まで全くそういうトレーニングを受けていない先生には負担が大きいよね。やっぱり。
同じように、学習者によっても負担になったりする。かなり、本人の学習に影響を与える。
私の場合だと、パソコンがあってカメラ、マイクがあって、WiFi環境があって、キーボードは日本語入力ができることが前提。
これって当たり前じゃないし、個人の負担になってるんだよ。実際今も。
コロナで、今はオンライン授業がやむを得ない状態とはいえ、かなり個人のリソースをさかせているということを教育機関が自覚しないといけないね。
『カメラ、ヘッドホン等を用意しておいてね』と言っても、持っていない子もいるし、あとはオンライン授業に集中できる環境がない(家に静かな環境がない)っていう子もいる。
オンライン授業になってから、姿を消す生徒ももちろん出てくるわけで。
携帯料金わかんないけど、学生はパケット制限を気にしなきゃいけない。LINEのやりとり、インスタしかやってないのに、いきなりオンライン授業ってなったらすごいパケット。WiFiない子には大変。
生徒が、授業を受けるために支払う物が大きすぎる。
対応できない学生がでて、学校が全員に同じ環境を保証できないなら、やるべきではない。不平等になる。
だから、全員に平等な環境が整ってこその、オンライン授業だよね。
日本でも今はパソコンを持っていない学生多いんじゃないかな。スマホメインだよね。
リトアニアでは、こういったことができない生徒は、出席しなくなるから。
そのための大学からの保証としては、ビデオレコーダーでレコーディングしたものをアップして、システムに入れておくっていうこともあるけど。。
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社会人として生活していると、WiFiを気にしたこともなかったし、昔からパソコンも使っていたし、私は、自由に自分だけの空間を確保して、今回のオンライン授業に参加できていました。
言われないと気づくことができませんでした。
システム役の必要性
続けて、教育におけるICT活用について、友人は、次のように話してくれました。
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ICTを活用した授業は、教師とは別に、システム役が必要。
教育でのICT活用は、本当にサポート役ありきのやり方だと思う。 Zoomも。
操作自体はシンプルやけど、実際に授業を進めていくなかでは、取り入れる側は、常に参加者が切り捨てられないようにしなきゃいけない。
ファシリテーターと別に、テクニカルの人が、だいたいいるんだよ。
部屋分けもブレイクアウトもテクニカルの人がやってて。
ファシリテーターも人数が少なければ別にいいけど、しゃべりながらだと止まったり、やっぱり色んなところで勿体ない感じになるし、ファシリテーターが各部屋を回っている間、生徒たちのシステムトラブル対応、ヘルプ、アドバイス対応者が必要。
チェコの大学との共同オンライン学習では、ファシリテーターとテクニカル、2人で分担してやってたよ。
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日本の教育現場に取り入れると、先生一人ではじめがちな印象、先生大変・・・な結果予想もあるし、塾自体も導入する際は、集団授業は特に、こういった問題があることにも気づかなければならないということを、ICT先進者である友人から学びました。
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学生自身も戸惑っているところはある。新しいやり方をする時は、テスト実施なんかはテスト受ける前も練習を設けたり。
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友人のこの言葉を聞いて、生徒の評価をする試験シーズンに対しても、オンライン授業化ではしばらく試行錯誤が必要なことを知りました。
最後に
今回コロナが原因ではありましたが、リトアニアでのオンライン授業に参加し、日本語教師としての外国語学習指導者のグローバルな世界の話や面白い取組、日々の試行錯誤について多くのことを聞けました。
今回すべて書ききれないですが、リトアニアの大学生たちの授業に参加することは、大変貴重な経験でした。
コロナで世界的な制限が共通してはじまっているなかでの、新しい時代、どうこの状況に適応していくかのヨーロッパ地域での取組に参加できたことは非常に有意義でした。
(読書会参加者)