ロジカルノーツ上で多数の寄稿記事を提供してくださっている「とあるキリスト教教会関係者」さん。
現在、キリスト教教会関係者としてイタリアで留学生活を送っておられ、渡伊前には想像すらできなかったコロナ騒動の渦中に身を置いておられます。
さまざまなことを感じた渡伊後半年間を振り返っていただきました。
半年が経って
イタリアに来て、10月から語学学校で勉強を始め、半年を終えた。
予定であれば4月からの授業は始まっているのだが、コロナウイルスの件でまだ学校は始まっていない。おそらく来週ぐらいからオンライン授業が始まるのだろう。
この半年を振り返って、また自分のこととも重ね合わせて少し書いてみたい。
話せるイメージを持つことが大切
私事になるが、小さい頃からエレクトーンを習っていた。中学受験で断念したり、中学に入ってからは疎かになったりしたものの、一応18歳までは鍵盤(ピアノとオルガン)に触れていたことになる。
最初は音符を読むところから始まり、リズムを学び、次に右手、そして左手、両手をゆっくり合わせて、やっと本来のスピード通り弾けるようになる。この点で語学と音楽は似ているような気がする。
最初は全くだめ。でも、やればできるようになる。
高3の時に、「パッヘルベルのカノン」と「主よ、人の望みの喜びを」をそれなりに弾いて以来、ピアノは弾いていなかった。でも、指が覚えていたのだろう。昨年末に日本から取り寄せて弾いても、(人に聴かせられるにはほど遠いが)まぁ何とかなったのである。そこで、欲が出た私は、「弾きたい曲」に挑戦することにした。
少し前に流行ったドラマ「義母と娘のブルース」でMISIAが歌った「アイノカタチ」という曲。フラットが6つあり、「ファ」以外全部フラットという恐ろしい曲である。
最初は右手だけ。それでも、「ファ」以外を黒鍵(フラット)で弾くのは慣れていないので、メロディすらロクに弾けない。
ここで大切なことは、月並みな表現になるが「諦めない」ことだ。私が弾くピアノでMISIAが歌うんだぐらいの図々しさと夢を持って取り組まないと、諦めてしまうぐらい、私には難しかった。
右手の次は、左手。そしてワンフレーズをゆっくり両手で弾いて少し満足して。サビが弾けて喜んで。途中少し間違えるが、一応流れるレベルまで弾けるようになった。
同じように、語学も着いた頃は全くだめだった。相手が何を言っているかわからないし、こっちが言いたいことも言えない。でも、半年が経って語彙や表現を学び、教皇フランシスコの話の概要はわかるようになり、友達と冗談を言い合ったり言い争いしたりできるようになった。
語学も音楽も、諦めずにやり続けること、自分が弾けたり話せたりしたときのイメージを持つことが大切だと痛感している。
一方、頭の中がイタリア語と日本語で占められているので、ただでさえ十分ではない英語がどんどん抜け落ちていっている。英語で話さなければならないときに、言葉が出てこないのだ。
語学学校には、自分の母国語と英語(人によってはそれ以外にも多言語)を話せて、さらにイタリア語を学ぼうとする人が集まっている。私は、「この人たちの頭の中はどうなっているのだろう。どうやって切り替えているのだろう」と不思議に思っていたし、今もわからない。きっといずれ自分がイタリア語を話せるようになったとき、日本語とイタリア語を切り替えられるようになるのだろう。でも、そのヒントも音楽にあるのではないかと思った。
「アイノカタチ」はフラットが6つの曲である。「パッヘルベルのカノン」はシャープが2つの曲である。音符が「ド」を示していても、「アイノカタチ」のときは「ド♭」を、「パッヘルベルのカノン」のときは「ド♯」を弾かなければいけない。頭を切り替えなければならないのだ。
幸い、今の私にはこの2曲の切り替えは難しくない。でも、慣れないと大変なのだろう。もしかしたら、語学も「慣れ」たら切り替えられるのかな。これはもしそうなら良いなという希望的観測である。
有事の時にこそ見えてくるもの
話は変わって、先日ニュースでポーランドにいる日本人と、日本にいるポーランド人のためにチャーター機が飛んだ記事を見た。
「有事の際は母国に帰りたくなるのが普通なのか」と思った。私は一度も帰りたいとは思わなかったし、これからも思わないだろう。私のいるところは、イタリア国内でも比較的感染者が少ない地域なので、下手に動くよりもここにいる方が安全だというのと、日本は「自粛」要請がなされるだけで、イタリア・フランス・アメリカその他各国ほど厳しくないので、日本の方が危ないと思っているからだ。
イタリアの医療の問題は色々と指摘されているし、私は専門ではないので何かを言うことは避けておく。普段はあまり問題にならない(?)ことが、有事の時に見えてくるのだろう。
一方、最近よく目にする言葉がある。それは、「団結・連帯」を表すsolidarietàという言葉だ。「EUで協力して」という大きなことは政治家に任せておくとして、市民レベルでの「連帯」で興味深いものを紹介したい。
「外出禁止令」が出ているので、仕事がなくなる人がいて、それは収入にも直結し食べるものに事欠く人が増えてきている。組織として食料を配っているのをテレビで見ることもある。これは日本でもあるだろう。また、パン屋さんとかお店が「どうぞご自由に」として食料を配ることもある。
しかし、この記事のような状況は日本ではなかなか目にしない。
困っている人のために、誰かが食料を入れた袋を並べて置いておく。すると、それを誰かが持って行く。私は、これを見たときホッとした。日本だと、「だれが置いたかわからないものを持っていくなんて」とか、もしかしたら「みっともない」とか色んなことを考えてしまうだろう。でも、ここでは「連帯」なのだ。誰かが食べるものに困っているなら、誰かが助けましょう、こういうことが自然と行われているのも今だからこそ見えてくるのかもしれない。
私たちキリスト信者が大切にする祈りに、「主の祈り」というのがあって、その中に、「日ごとの糧を今日与えてください」というのがある。イタリアの一般紙もこの部分を引用して“Pane Quotidiano”(毎日のパン)と表現している。
確かに、医療の問題は日本と比べて良くないかもしれない。でも、こういう「連帯」の精神はイタリアの方が自然に出来ているように思う。日本も「知っている人」に手を貸すことは自然になされているだろう(と信じている)が、イタリアのような「連帯」の方法は学ぶべき点だと思う。
(とあるキリスト教教会関係者)