ホウレンソウ、カクレンボウ
ホウレンソウ・・・野菜のspinachではなく、「報(報告)・連(連絡)・相(相談)」のことです。山崎富治「ほうれんそうが会社を強くする - 報告・連絡・相談の経営学」ごま書房(1986)によって広く知られるようになったホウレンソウ(報・連・相)は、社員研修などでその重要性が説かれることも多いと聞きます。
- ホウ・レン・ソウ:報告・連絡・相談
「どうしたらいいですか?」といった「相談」よりも「このように考えているんですけど、どうですか?」といった「確認」のほうが重要ではないか。このような観点から、最近では「カクレンボウ」というものも注目されています。
- カク・レン・ボウ:確認・連絡・報告
ホウレンソウ(報・連・相)もカクレンボウ(確・連・報)も集団で何かを行う際に必要なコミュニケーションです。このとき注意しておきたいのは「他人と情報共有するために言葉を使っている」ということ。自分ひとりだけで完結する問題であれば、報告・連絡・相談・確認は不要でしょう。
共有すべき情報は何か
他人と何かをする「協働」の場面では、どのような情報を共有すべきなのでしょうか。
「何があったのか」という事実
共有すべき情報の1つとして「『何があったのか』という事実」についての情報が挙げられます。同じ目的のために複数の人がそれぞれの役割を担う。その過程の中で、個々人が知覚する事実は異なるでしょう。そういった情報を共有することによって、構成員のそれぞれが「自分ひとりだけでは認識できなかった事実」に基づいた営みをすることも可能になります。
「事実についての情報量が増える」ということは「判断材料が増える」ということ。もちろん、この利点は大きいのですが、その反面、「たくさんの情報に振り回される」というリスクもあります。そのため、集団の目的と照らし合わせて情報を整理する役割を担う人が必要になってくるでしょう。
- 「整理:必要なものと不要なものを区分し、不要、不急なものを取り除くこと」・・・本記事は「協働」の文脈で話をしていますので、「整理」という語もそれに応じて使用しています。「整理:乱れた状態にあるものを整えること」が一般的な用法だと思われますが、職場づくりや生産性向上などの「協働」の文脈においては、本記事のように「整理」を「整頓」と区別して用いることもあります。
「その事実をどのように捉えたのか」という評価
「『何があったのか』という事実」と「『どのように捉えたのか』という評価」は異なります。
- 今日の最高気温は30℃だった
- 暑くてうんざりした
1つ目が「事実」を伝えたもので、2つ目が「評価」を伝えたものです。
30℃という気温について「暑くてうんざり」と思うか、「ちょうどよい」と喜ぶか、あるいは、「少し肌寒い」と感じるか。「最高気温30℃」という事実の捉え方として多様なものがあり得ます。
客観的事実であったとしても、これに接するのが主観的な存在の人である以上、その事実についての捉え方は主観的にならざるを得ません。そして、事実を伝える方法として「言葉」を採用するならば、どうしても発言者の主観から逃れることはできず、そのため、「事実だけを伝えよう」と思っていたとしても「事実でないもの」も伝えてしまいがちです。
「『何があったのか』という事実」と「『どのように捉えているのか』という評価」を区別すること。他人と協働する際には大切なことではありますが、意識的にしないとなかなか簡単にはできません。なぜなら、自分自身の捉え方が普遍的なものだと思ってしまいがちだからです。1つ例を挙げたいと思います。
- 「私が住んでいるA県B市では医師が不足している」
「不足」という言葉を用いていますので、この発言は「評価」を伝えたものです。「不足」とは「足りている状態ではない」という意味であり、「『足りている』と感じるか否か」は主観的問題だからです。
A県B市で暮らしている「私」の頭の中には、生活者としての時間の中で手にした多くの情報が入っています。その情報を「当たり前のこと」と考えてしまった場合に「A県B市では医師が不足している」という言葉を「事実」を伝えたものと捉えてしまいがちです。あるいは、「具体的事実を示さなくても『A県B市では医師が不足している』と表現するだけでよい」と判断してしまうこともあるでしょう。しかしながら、「A県B市では医師が不足している」という言葉だけを聞いて共感できるのは「A県B市の状況を知っている人」であり、そのような人に向けてわざわざこの言葉を述べる必要もありません。
どのような事実に接して「医師が不足している」との評価に至ったのかを示さないと、せっかく言葉を使ったにもかかわらず、伝えるべき人に伝えることができません。「事実」と「評価」を区別し、その関連を言葉にしないといけないということです。
「評価」を伝える言葉の意義として重要なものがあります。
上述した通り、言葉を用いた情報伝達である以上、どうしても発言者の主観が入ってしまいます。「事実」を伝える言葉であったとしても、「主観のフィルター」を通した情報にならざるを得ません。そう考えると、「私はこのような『主観のフィルター』を通して事実を捉え、言葉にしているんですよ」という説明が欲しいところです。この「主観のフィルター」の「説明書」のようなものとして、「評価」を伝える言葉が機能します。
この「説明書」は、「事実」を伝えた言葉の背後にあるものを受信者に考察させる効果も有します。
- 「他にも言葉にしていない『事実』があるんじゃないの?」
このような疑問をもった人は、相手に尋ねることができます。このことはより多くの情報を入手する契機となり、特に「協働」の場面では重要なことではないでしょうか。
「どのように考えているのか」という意見
「『どのように考えているのか』という意見」は人それぞれ。だからこそ、言葉で伝えないとその内容を他人と共有することができません。
何らかの事実に接したとき、人はどのようなことを考えるのでしょうか。
- その事実の解釈・評価
- その事実の利用可能性
「協働」の場面においては、これら2つのことを考える場合が多いかと思われます。
事実に接するのは発言時よりも過去のことなので、1つ目の「その事実の解釈・評価」は「『過去』についての語り」とも言えるでしょう。他方、2つ目の「その事実の利用可能性」は「『未来』についての語り」です。
- その事実の解釈・評価(「過去」についての語り)
- その事実の利用可能性(「未来」についての語り)
1つ目の「その事実の解釈・評価」についてはすでに述べましたので、以下では、2つ目の「その事実の利用可能性」について考えてみたいと思います。
「未来」についての語り(1)予測
「事実α」に接した経験はどのような「『未来』についての語り」を生むでしょうか。
その1つとしてまず考えられるのは、「『事実α』によって『事実β』が生じるかもしれない」といった「予測の話」です。これを表現するとき、次の2点に注意しなければなりません。
- 順接
- 断定と推察
順接
- 「事実α」によって「事実β」が生じるかもしれない。
この「予測の話」において、「事実αの存在」と「事実βの発生」は順接の関係にあります。この順接関係をしっかりと伝えることが重要です。
このとき注意しなければならないのは、「αだからβ」という順接の言葉において発言者の「当たり前」が現れやすいということ。そして、その「当たり前」は決して普遍的ではないということです。
だからこそ、「協働」の場面においては、「αだからβ」という順接関係について他人のチェックが欲しいところですし、そのためには「なぜ『だから』という関係を伝えようとしたのか」について詳しく言語化・可視化して伝える必要があります。サンプル数等の条件を満たすのであれば、統計学的手法に基づく予測を提出するのが望ましい場合もあるでしょう。
断定と推察
確定事実については断定表現を用い、不確定事実については推察表現を用いる。これが正確な情報伝達をする場合の基本です。
- 「事実α」の存在が確認された。そのため、「事実β」が生じるかもしれない。
「『事実α』の存在確認という過去」については断定表現を用い、「『事実β』の発生予測」については推察表現「かもしれない」を用いています。「事実α→現在→事実β」という時系列が明確になっています。
このとき、「かもしれない」という推察表現を省いてしまうとどうなるでしょうか。
- 「事実α」の存在が確認された。そのため、「事実β」が生じる。
この表現では「事実βの発生」が予測であると明示されておらず、読み方によっては「事実βの発生が過去のことである」と捉えられてしまいかねません。「事実α→現在→事実β」と「事実α→事実β→現在」の2パターンの解釈があり得るため、情報伝達の言葉としては不明確。要は、推察表現の使用を怠ってはならないということです。
推察表現の中には、「…はず」のように強い推察であることを示すものもあり、推察の強弱をつけることも「協働」の場面では重要でしょう。
「未来」についての語り(2)提案
「どうすればよいのか」という提案。
「協働」の場面では、自分以外の他人を巻き込み、その時間を使うわけですから「納得」という段階を経ておきたいところです。他人のアイデアを現実化する取り組みの中で気分が乗らないときもあるでしょうし、そうしたときに(とりあえずでも)「納得」という段階を経ていないと頑張れない気もします。
この「納得」のためには、提案の生まれたプロセスが重要でしょう。そのプロセスが理にかなっているならば、「気分が乗らない」という感情に支配されずに頑張り抜くことができそうです。
ここで参考になるのが、「ソラ・アメ・カサ」の発想。これはコンサルティング会社のマッキンゼーが採用している問題解決フレームワークとして知られるものです。簡単に要点を紹介します。
- ソラ:「空」を見上げると曇っていて
- アメ:「雨」が降りそうだから
- カサ:「傘」を持って行こう
1つ目の「ソラ」において「『曇っている』という事実」を認識し、2つ目の「アメ」では「『その雲は雨を降らせる雲だ』という解釈・評価」に基づいて「『雨が降りそうだ』という予測」をしています。その上で、3つ目の「カサ(傘)」というアイデアが生まれています。
単に「傘を持って行こう」という結論だけではなく、そのアイデアの生まれたプロセスを言語化することも重要だということです。
「どうすればよいのか」という提案の際には、事実・評価・予測を示し、その内容との関連を示すように心がけたいところです。
「協働」を意識した言語トレーニング
いろいろな観点で2020大学入試改革の内容が語られていますが、「発信力重視」という観点でまとめることができるかと思います。
「何かを伝えるとき、どのようなことに注意すべきか」という技術的なトレーニングも重要でしょうが、それ以上に「何を伝えるべきか」を考える時間も大切です。このとき、「協働」の場面をイメージするのが有効だと思います。
本記事では「『協働』の場面における情報共有のあり方」について考えてまいりました。共有すべき情報に着目した話ですので「人の心情」の問題については扱いませんでした。
しかしながら、「協働」の場面においては、「人の心情」の問題を避けては通れません。「相手の心情」に配慮して協力関係を強固にすることも可能でしょうし、「自分の心情」を無視して自分自身を潰してしまう事態は回避すべきです。
- こまつな(小松菜):(こま)困ったら、(つ)使える人に、(な)投げる
- きくな(菊菜):(き)気にせず休む、(く)苦しいときは言う、(な)なるべく無理をしない
- ちんげんさい(青梗菜)はダメ:(ちん)沈黙する、(げん)限界まで言わない、(さい)最後まで我慢
もうすぐ新社会人の皆さま、
— Nikov (@NyoVh7fiap) March 24, 2019
ほうれんそう=報告、連絡、相談
ですが、
こまつな=困ったら、使える人に、投げる。
きくな=気にせず休む、苦しいときは言う、なるべく無理しない。
だそうです。
最もしてはいけないのは、
ちんげんさい=沈黙する、限界まで言わない、最後まで我慢。
らしいです。
社会福祉士・介護福祉士で児童福祉の仕事をしておられるNikov氏が新社会人向けに発信されたこのツイートは注目を集めました。ここで紹介された「こまつな、きくな、ちんげんさい」は、自分自身を守るものとして心に置いておきたいところです。
そして、「こまつな、きくな」をできるようにし、「ちんげんさい」にならないようにする。そのために必要な発信力についても考える機会があればよいのではないでしょうか。
(吉崎崇史)