大学受験生のIです。
4浪目の僕の受験が終わりました。4月からは、「学費免除の特待」をいただけた某私立大学に進学します。
合格した大学の中には、いわゆる偏差値カテゴリでより上位のところもありました。
それはそれでありがたいことではあるのですが、そういった偏差値的価値観に人生を左右されるのではなく、「どのような大学生活になるのか」を具体的にイメージして進学先を決めました。そして、設備やカリキュラムを比較し、また、現時点の僕を最も評価してくれた大学に身を置くのが最善だと判断しました。
いろいろありましたが、4浪目にしてようやく受験から卒業することになりました。
「結果に満足か?」と言われるとそうではありませんが、周りの人の助けも借りながら自分なりに将来を見据えての選択ができたと思っています。
そこで、僕がここに至るまでの振り返りをしたいと思います。
中学時代
中学時代、そこそこ勉強ができました。とはいっても、地方の地元の公立中学なので全体で考えるとそこまでなのですが、14歳の男の子が勉強に関して自信を持つには十分でした。
授業を聞けば大体わかる、授業を聞かなくても教科書を読めばほぼわかる。部活が忙しく休みもほとんどない3年間を過ごしつつも、そのまま市内で1番の高校に進学してしまいました。
高校時代
高校に進学してからも、最初は苦労せず、数学に関しては中学の貯金だけでほぼトップ。しかし、中学の時と同じ意識で普段を過ごすうちに、高校2年生になる頃には学年でほぼビリにまでなってました。
そのあとは学校にも次第に行かなくなり、卒業に必要な出席日数の計算だけしてました。
そんな状況にも関わらず、「受験だけはなんとかなるだろう。だって自分は少なくともバカではないし」と考え、世間の受験生がどれだけ勉強しているかも想像できずに、高校受験の時と同じような心構えで現役時の大学受験を迎えます。
結果はもちろん失敗。
そして、4年に及ぶ長い浪人生活が始まりました。
受験界隈ではよく聞く、「あるある」の失敗話だと思います。ですが、自身がその当事者だと気づくのに、僕は高校を卒業してから3年かかりました。
2年間の予備校生活を経て、宅浪に
高校卒業後は、2年間、予備校に通いました。高校3年間の反省から真剣に勉強しました。
結果は早くにも出て、浪人して最初の夏の模試では満点をとる教科もありました。志望していたレベルには1年では到達できなかったですが、かなり成績が上がり、「伸び率でみるともう1年すればいけるだろう」と予備校の先生にも言っていただけました。僕自身もそう思ったので2浪することに決めました。このロジカルノーツの吉崎先生を紹介してもらったのはこのタイミングです。
この頃には模試でも初めてC判定、B判定がでるようになり、次第に危機感が薄れていきました。結果として不合格に終わるのですが、「勉強法も2年間で十分学んだ。内容も一通り頭に入ってる。あとは量をこなすだけ」と思い、僕はもう1年したかったのですが、親から出された選択肢が働くか、家を出て行くか、どこかに進学するかの3択でした。
そこで、僕は鹿児島にある祖母の家にお世話になることに決め、書店すら車を出さないと行けないような田舎の地で宅浪生活を始めました。
不慣れな環境で宅浪し、受験断念
衣食住は揃っていましたが、家周辺には海と山しかなく、話し相手も後期高齢者ばかり、頼れる相手もおらず主な情報源はネットのみ。これは、近畿の市街地で生活し続けてきた僕にとって大きな環境の変化を意味します。
鹿児島へ行くことを決めた当時、周りの大人達みんなから「やめとけ」と助言を受けました。受験のタイミングで生活環境を大きく変えることのリスクを考えてくれたのでしょう。
しかし、その忠告を振り切って、僕は、鹿児島で3浪目の生活、しかも初めての宅浪生活を送ることにしたのです。そして、受験の約2週間前、年が明ける頃には完全に鬱になってました。
その結果、3浪目は受験自体をせず、事態を重く見た親が実家への帰還を許可し、実家で4年目の浪人生活をすることになりました。
精神的にきつかった4浪目
4年目の前半の詳しい心境は以前記事にしていますが、記事にするほどではないと思って出さなかった部分の話をすると、正直、鬱を経験する前と後では生活が一変しました。
まず、「今まで当たり前にできていたこと」ができなくなりました。模試も最後まで受けられずに途中で帰ることもあり、英検に至っては2回目は受験すらせずに逃げました。
他人から見れば過剰な心配に思えるようなことも、当人からすれば考えずにはいられないことに感じられ、目の前のことに集中することや、明るい未来を考えることなんて全くできる状態じゃなくなっていました。
関心や意欲が全く湧かず、好きだったはずのことでさえ楽しめなくなり、夜布団に入った時には「このまま起きなければいいな」と思いながら寝る日々を過ごしていました。おそらく、受験を続けていい状態ではなかったと思います。実際、僕は夏に一度受験を諦め、専門学校へ行こうと決めたことがありました。
その時に助けてくださったのが吉崎先生でした。もう受験をやめようと思っていること、生きる気力がわいてこないこと、その他進路や就職についてその時心配に思っていることを全て相談しました。
本当にいろいろな話を、延々と聞いてもらいました。そのおかげで、僕は、すごく狭い視野と選択肢の中でもがいていたことを自覚できました。また、先生との会話の中で、社会に対する解像度が少し上がり、どう対処していいかわからず不安だった問題を、今まで持っていた視点とは違う角度から解決できるということに気づけ、もう一度受験を続ける気持ちを持つことができました。
「やりきること」から見えてきたもの
4浪目の受験をすると決めた時点での目標は「受験をやりきる」であり、周りの受験生と自分の状況を比較して落ち込むこともありましたが、その周りの人達と自分とでは「取り組んでいる競技が違う」と自身に言い聞かせて取り組みました。
その結果、全体で79%ではありましたが、無事に共通テストも受けきることができ、その他の試験も無事メンタルを壊すことなく受けきることができました。
最終的には、自分の進路やキャリアのことを考えて、特待生をいただいた私立の大学に進学することに決めました。
正直、「これでひと段落ついた」とは思えず、「頑張る場所が変わるだけかな」とは思っています。それでも、4浪目の最初の時期に比べればすごく前向きに自分の将来のことを考えられているので、「この1年間頑張って良かったな」と思えています。
浪人を決めた当初に希望していたものとは違う結果になったので、満を辞しての再出発とはなっていませんが、後悔だらけだったここ数年を生かして、まずは後悔のない大学生活を送るため日々精進して参ります。
(Iくん)