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2020大学入試改革!英語4技能と論理的表現のあり方を考察

【寄稿】とある教会関係者の言語学習体験記(4)ギリシア語

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ラテン語の次に私はギリシア語ヘブライ語の授業を受けた。


ヘブライ語については、もっともっと勉強しないと人に何かを伝えることはできないので、本稿では「ギリシア語」について触れることにする。

 

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勉強の始まり


ラテン語はまだアルファベットが英語などと同じだったので、最初のとっかかりは良かった。しかし、新約聖書ギリシア語アルファベットはすでに形や順番が違うので、αβγδ・・・からの勉強が始まる。


しかし、面白くないことはない!むしろ、新約聖書が書かれたのはギリシア語であるから、原文を読めるようになることで、新しい気づきがあるのではないか。その思いから楽しんで勉強したことを覚えている。


言葉を勉強するということは、「読む・書く・聞く・話す」ができることを目標とするのであろう。しかし、私はまず「読む」ことを目標とした。


テキストとして使ったのは、大貫隆「新約聖書ギリシア語入門」岩波書店(2004)で、神学院の授業で使ったものである。ラテン語同様、関連することを書き込んでいったので、こちらも今でも手放せない一冊となっている。

 

なんとか読めるようになりたい

 

ラテン語でならしたおかげか!?、動詞の活用名詞の変化はスムーズに理解できた。


私の好きな(?)ラテン語絶対奪格は、ギリシア語では「独立属格構文」として登場する。


また、相変わらず日本語とは違って時制が厳格なので、「アオリストと未完了過去」の違いは私には理解が難しかったし、今もわかってるようなわかってないような感じである。それでも、とにかく「楽しい」のだ。

 

気づき

 

宗教の話で申し訳ないが、キリスト教では「イエスの復活」を大切にしている。私たちが使う日本語で言い換えて、「イエスがよみがえった」と理解してはいけない(そもそも「よみがえる」という言葉が話し手と聞き手で了解されているかどうか、あやしいが)。


ここで使われているギリシア語は、「エゲイロー」という動詞受動相・アオリスト・3人称単数形である。

 

ἠγέρθη. οὐκ ἔστιν ὧδε.


これは、マルコによる福音16章6節の一部である。日本聖書協会の新共同訳では「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」と訳している。


ここでは、ἠγέρθηについて考えたい。


もとの形はἐγείρωである。これがἠγέρθηに変化する。


まず、語の持つ意味(の広さ)を考えたい。ざっくりイメージするなら、「起きる」「起こす」という言葉であろう。新約聖書の中では、眠りから目覚める病人が起き上がる死んだ者が生き返る武装して立ち上がる現れる・出現する、建てる、と訳されている。


私は、日本聖書協会にケチをつけているのではない。「翻訳家は裏切り者(Traduttore, traditore)」という言い回しがあるように、誰であろうと翻訳をした時点で、原語の「裏切り者」になってしまうのだ。


「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」という日本語訳からだと、「あの方(=イエス)」が「復活」したと理解してしまう。


しかし、ユダヤ人神の行為について、受動形で表現する習慣があった。従って、「イエスの復活」神の行為なのである。イエスが勝手に復活したのではなく、イエスは「復活させられた」のである。打ち砕かれて、自分の力で起きられず、横たわっているイエスを、神が手を引っ張って起こしたとでも言ってみようか。


恥ずかしながら、私は「イエスの復活」を、「イエスの行為」として「よみがえった(死んで冷たくなった身体が生き返った)」と理解していた。ゾンビが生き返るように。そしてそれは、イエスが神だから非科学的なことが起こったと思っていたのだ。


しかし、このギリシア語を知ることで、「復活」は神の行為であって、起こされることなんだ理解の幅が広がったことを付記しておく。

 

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